なぜか?

ネガティブだからです

相手に求める勇気が足りないネガティブ人間。

それでも誰かといたいんですよね。

自分ひとりのほうが楽なはずなのに、自分ひとりじゃ生きていけない。

人は皆どうして一人じゃいられないかって、それでもやっぱり人が好きだから

そして、好きな人が君だからです。

ちょっと臭いこと言っちゃった。僕のことはドリアンと呼んでください。臭いので。

君だってきっと

サヨナラの準備は、もうできていた
あの日から 君だって きっときっと
失う事が怖くて重ね合った
No more lonely days! 言えないサヨナラ

出典: サヨナラの準備は、もうできていた/作詞:亀田誠治 作曲:亀田誠治

はたして君は本当にサヨナラの準備は出来ていたのでしょうか。

主人公のほうは出来ていると言ってますね。最初からずっと。

でも、相手のほうに関しては、特にそういう描写なありません。

冷たい言い方すれば、そんなのは主人公の思い込みです。

失うことが怖いなら重ねあうより伝えるべきなのに、それも出来ない。

でもそんな臆病さが、まだサヨナラをいえない理由にもなっているんです。

いや、というかそもそも。

サヨナラの準備、まだ出来てなくない?

サヨナラの準備が出来ていると言い切ってますが。

失うことは怖くて重ね合うし、サヨナラも言えないし。

主人公は臆病でネガティブ。

自己防衛の為にサヨナラの準備が出来ていると思いこんでいるだけなんですよね。

あえて酷い言い方をしますけど、カノジョ側からすればいい迷惑です。

カノジョ側はずっと一緒にいたいと思っているかもしれないのに。

皆誰かと生きていきたいくせに、その道を自分で閉ざそうとしてしまう主人公。

臆病が空回りして、自分のことを傷つけ追い込んでしまう。

寂しく悲しい歌ですね。

最後のサヨナラ

サヨナラの準備は、もうできていた
いつだって いまだって ずっとずっと
僕たちはたしかに輝いていた
今だって きっときっと
これからも ずっとずっと
What a glory days! 最後のサヨナラ

出典: サヨナラの準備は、もうできていた/作詞:亀田誠治 作曲:亀田誠治

いまだってずっと、ということは、結局はまだサヨナラしていないわけです。

備えあって憂いなしというわけでもないですが、臆病由来のサヨナラの準備しかしていません。

ただ、臆病ゆえにサヨナラを言うことはきっと自分からは出来ません。

今輝いていて、これからも輝いている、という確信を主人公は最後に持てます。

しかし。

最後のサヨナラ

歌詞の最後は「最後のサヨナラ」という言葉で締めくくられています。

結局サヨナラなの?サヨナラじゃないの?

前述しましたが、直前で主人公はこれからも輝けると言っています。

輝くためには、君とこの先も一緒にいることが前提条件。

このネガティブ主人公がついにこの先の君との未来に対して確信をもてたのです。

若者の精神的成長におじさん感涙。歳とると涙もろくなりますね。

最後のサヨナラとは、本当の最後を意味しているのでしょう。

「最後」ではなく「最期」

つまり、最期のその瞬間までは共に生きることが出来ると、今は信じられるのです。

さようなら、ネガティブだった同士よ。

まとめ

如何でしたでしょうか。

ネガティブな主人公の前進の歌。

生きていれば、後ろを向くことくらいあってもそのうち前も向けますね。

サヨナラの準備はまだしている?

最期の歌詞にもあるように、サヨナラの準備自体はしてます。

でもずっとできていなかったサヨナラの準備が、今度こそ完全に出来ているといえます。

サヨナラの準備とは実はネガティブではなくポジティブなもの。

サヨナラするその時までは一緒にいるよという意思の表れに姿を変えたのです。

どうせ最期が来るなら、その時までは輝いていたい。

そんな選択をしたわけです。

サヨナラが終わりな訳でもないですしね。

歌詞の意味を踏まえて改めて楽曲を聴いたら、なんだか泣けてきました。

皆様も夜更かしのお供にセンチメンタルを是非。

【サヨナラの準備は、もうできていた/CRUDE PLAY】歌詞の意味を解釈!分かっていた別れが切ないの画像