CRUDE PLAYは架空のバンド

【サヨナラの準備は、もうできていた/CRUDE PLAY】歌詞の意味を解釈!分かっていた別れが切ないの画像

CRUDE PLAYは、現実のバンドではありません。

漫画家、青木琴美さんの作品『カノジョは嘘を愛しすぎてる』の作品内に登場する大人気バンドです。

現在は佐藤健さん主演で映画化もされており、映画の中では三浦翔平さん率いるCRUDE PLAY

実際にバンド演奏シーンもあります。

こりゃあ大人気バンドにもなるわ…って感じの出来です。

曲も良いし、歌詞も切ないし、顔が格好いい。

ちくしょうイケメンってやつはずるいぜ。

そんなCRUDE PLAYの名曲『サヨナラの準備は、もうできていた』の歌詞に迫っていきます。

ちなみに、楽曲は現在現実世界でもCD販売されています。

わざと雨の中濡れて待っていたんだろう

わざと雨の中
濡れて待っていたんだろう
勝負笑顔で手を振って

瞬間で恋に落ちた
僕を君はきっと
あざ笑っていたんだろ

出典: サヨナラの準備は、もうできていた/作詞:亀田誠治 作曲:亀田誠治

わざと雨の中で待っていたってロマンチックですね。

恋をすると、そうやってわざとの行動をしがちです。

わざとレポートを忘れてみたり、わざと遅刻をしてみたり、わざと既読つけるのを遅らせてみたり。

返事はすぐにしちゃ駄目だって誰かに聞いたことありますしね。

そんな数々のわざとの行動の中でも、雨の中で待つのはなかなかおしゃれ。

そしてずるい

雨に濡れるのって基本的には嫌ですよね。化粧は落ちるし髪型はぐちゃぐちゃになるし。

そんな雨に濡れるというマイナス要素の中で待っていてくれた。

そのうえ、僕の姿を見つけて勝負笑顔で手を振ってくれた。

想像してみてください。

雨に濡れて少し寒そうにしている中、自分の姿を見つけた瞬間にパッと笑顔になって手を振ってくる。

そりゃ恋にも落ちますよ

サヨナラの準備してる場合じゃねえ。サヨナラしないための努力をしなくちゃ。

僕を君はきっとあざ笑っていたんだろう

ひ、卑屈…!

別にいいじゃないですか。

きっとカノジョだって自己満足の為に男ひっかけて遊んじゃおみたいな人じゃないですよ。

そうだったら小悪魔どころか悪魔ですよ。

ところで小悪魔って死語ですかね。某ギャル系ファッション雑誌くらいでしか聞かない。

どうでも良いか、この話は。

主人公は卑屈

そういう前提で話していきましょう。

卑屈というよりネガティブ。笑いの生まれないタイプの自虐。

そういう人。

当たり前のことですが、人が人を好きになるのはなんにもおかしなことではありません

年齢が違っても、身分が違っても、好きになるときはなる。当たり前のことです。

瞬間で恋に落ちるのも不自然なことではありません。

一目ぼれとかもありますしね実際。

ネガティブにはだいたい理由があって、それは過去の経験や境遇だったりします。

理由と原因は近いところにあります。

ネガティブな理由は歌詞の中で明らかにはされていません。

しかし、この主人公がネガティブなのは、紛れも無い事実なのです。

僕たちはどうして

僕たちはどうして
出会ってしまったんだろう

サヨナラの準備は、もうできていた
いつだって いまだって ずっとずっと
エンディングはたしかに始まっていた
Glory days! 僕らにサヨナラ

出典: サヨナラの準備は、もうできていた/作詞:亀田誠治 作曲:亀田誠治

僕たちはどうして出会ってしまったんだろう、という感情自体はわかります。

こんなに辛い思いをするなら、いっそ最初から出会わなければ良かったのに…

そんな感情があるのは事実。

でもそれって、失恋したときの感情じゃないですか?

「サヨナラの準備は、もうできていた」ということは、まだサヨナラしてないわけです。

というかむしろこの歌詞の中では恋がはじまったばかりですよね。

あんたさっき瞬間で恋に落ちたばっかりやんけ。

これから素敵な瞬間が始まる、そんな予感を抱きそうなところでここまでネガティブになるなんて。

恋の甘い部分から酸っぱい部分までのスピード感がやべえ。

エンディングはたしかに始まっていた

でもわかりますよ。僕もネガティブな人間なので。

よく喋る根暗って最悪ですよね。

でもね、根っこなんだから暗くて当然なんですよ。土に埋まってるんだし。

しっかりとした根っこほど深い地中に埋まってるんだから、暗いにきまってる。

逆に言えば、暗いってことはしっかりしているってことです。

根暗な僕らは実はしっかりしてるんです。繊細だけどな。

なんの話だ?

話を戻しますが、人生って始まった瞬間、死に向かって歩いていくじゃないですか。

ああ、根暗の駄目なところが出てる…とか思わないでください。

これ別に暗い話ではなくて、人間には寿命があるじゃないですか。

生まれたということは、いつか死ぬということとイコールです。

それと同じように、出会った以上は必ず別れがあるんです。

引越しで離れ離れになってしまった友達とか、ずっと一緒だと思ってたのに別れてしまった恋人。

離れずにずっと一緒にいたとしても、必ず最後には死が二人を分かちます

これはもうしかたない。絶対の事実です。

何度も言いますが、主人公はネガティブです。

だからこそ、恋に落ちたその瞬間からいずれ来る別れを気にして辛くなっているんですね。

それくらい好きになってしまったとも言えますが。

恋に落ちた瞬間からエンディングはたしかに始まっていたと捉えるのはあまりに悲しい。

でも、そういう思考って自己防衛なんです。

そうやって捉えておかないと、いざサヨナラしたときに傷ついちゃうんです。

まあサヨナラの準備をいくらしておいたってサヨナラしたら辛いんですけど、それはそれとして。

エンディングの中でしか生きられないって、やっぱり少し寂しいですね。

本気で好きになったのは僕の方かもしれないね

君と未来永劫
愛を誓うなんて
感じたことすらないけれど

だけど本気で
好きになったのは
僕の方かもしれないね

人は皆どうして
一人じゃいられないんだろう

出典: サヨナラの準備は、もうできていた/作詞:亀田誠治 作曲:亀田誠治

君と未来永劫愛を誓うなんて感じたことすらないなんて言いますけど、どうなんでしょう。

歌詞の中ではその一節の後、本気で好きになったのは僕の方かもしれないとこぼしています。

主人公側には確実に未来永劫変わることのない愛情が相手に対してあると思います。

それではなぜ感じたことすらないなんて寂しいことを言うのでしょう。

それは、「君と未来永劫愛を誓う」ことに対して「感じたことすらない」がかかっているからです。

自分ひとりが相手を一生愛すと思っているだけなら言い切れるでしょう。

でも、相手側もそうであってくれる保証なんてどこにもないんです。

常に相手が自分と同じ熱量で愛してくれているかはわからない

そして、それを求める勇気が主人公には無いのです。