僕目線で語られる言葉
FMラジオからのビートで 僕の心は加速する グッと
どこまでも 地の果てまでも行ける気がして 踏むアクセル
栄える街を抜けるルートで 少し遠目に眺める雑踏
どこまでも 世界の果てまでも 繋がっている
彼や彼女も 君の街まで結ぶ 環状線
出典: 環状線は僕らをのせて/作詞:下村亮介 後藤正文 作曲:下村亮介
この曲は、僕目線から歌詞のストーリーが語られます。
彼女を助手席に乗せて浮かれ気分の僕。
ラジオからノリの良い音楽も流れ、益々ドライブデートは楽しいものとなります。
気分が最高潮の時はどんな景色も美しく見えるものです。
信号待ちをしていると、多くの人々が歩いている姿が映ります。
窓から見える他人同士のあの男性と女性。
彼らも僕と愛おしい助手席の彼女のようにいつか繋がる日がくるかもしれない。
そんな僕の熱が、この歌詞からは読み取れます。
私目線で語られる言葉
凍える助手席のシートで クーラー効き過ぎてる ずっと
今日も彼は そんな私には 気づかないで 踏むアクセル
迷える子羊のモードで 先月から秘めてる葛藤
でも 直ぐには言えないから 繋がっている
私と彼は 夕暮れの帰り道 環状線
出典: 環状線は僕らをのせて/作詞:下村亮介 後藤正文 作曲:下村亮介
一方、助手席に乗っている私はどのような想いを抱えているのでしょうか。
浮かれ気分の彼の気持ちとは裏腹に、彼女は心も身体も少し冷め気味。
愛してくれているようで、ちゃんとは見てくれていない彼。
「先月から〜」という歌詞から、別れを考え始めている様子が伝わってきます。
それでも浮かれる彼の様子を見ていたら言い出せるはずがありません。
私が別れを切り出さない限り、2人の関係は続くのです。
前述の通り、この歌詞の僕と私の想いには大きなすれ違いが生じていると筆者は考えました。
環状線は何の例えなのか
歌詞を見ていると、環状線は物語のただの舞台ではないことがわかります。
環状線は何かの例えなのです。
それは一体何なのか…その疑問に答えた歌詞が2箇所存在します。
人間の心模様
すれ違ったり 交じり合い
まちに描くよ 線と線
幾何学的でも アンバランス
まるで僕らの心模様
出典: 環状線は僕らをのせて/作詞:下村亮介 後藤正文 作曲:下村亮介
環状線が例えているもの、その1つは「私たちの心」です。
環状の形は規則的で、バランスは良いはず。
しかし、実際に街に張り巡らされた環状線の道路はガタガタです。
綺麗な輪っかではなく角があるような、アンバランスな環状。
それが私たちの心のようだと表現されています。
僕と私のように、共に楽しい時間を過ごしていても決してスムーズには進まないのです。
人と人との“縁”
僕ら一人でも 知らずにあらゆる わ 作り
響き合い 捧げ合い えん 描く
すれ違う悲しみも 交じり合う喜びも
線と線 結んでみる 繋がったら えん
出典: 環状線は僕らをのせて/作詞:下村亮介 後藤正文 作曲:下村亮介
もう1つ、環状線が例えているものがあります。
それがここの歌詞で語られている「えん=“縁”」なのです。
どんなに人は孤独になろうとも、全く一人で生きているということはありません。
生まれてから死ぬまで、様々な人と繋がり、与えられたり与えたり…。
それは一度車を走らせると、どこまでも続いていく環状線のよう。
この歌詞に登場する僕と私も、バラバラだった道を繋ぐように“縁”を結んだのです。
そして、降りようとしなければ降りられない環状線の道路を走り出しました。
歌詞の中の私はこの道路を降りようとしていますが、結末は語られません。
私たちもこの2人のように、みんな環状線に乗っているのです。