GRAPEVINEの【光について】
「光」の存在
GRAPEVINEが昨年発売した最新アルバム『ALL THE LIGHT』。
直訳すると、「光のすべて」になります。
これまで彼らにとって「光」の存在は楽曲に大きな意味をもたらしてきました。
1993年のバンド結成から26年目に突入するGRAPEVINE。
デビュー時よりヴォーカル・田中和将による掴めるようで届かない想いが綴られています。
それはまるで水のようにどこまでも自由に流れる力強いグルーブ。
そして彼らが奏でる美しいメロディと共にリスナーの心を惹きつけてきました。
その理由は一体何なのでしょうか。
ぼんやりとした消化不良の日常への共感
何十年と経っても聞き継がれる名曲は、メロディやパフォーマンスが痺れる!というのも大きな理由です。
でも、何よりも歌詞への共感を得ていることが名曲たる所以ではないでしょうか。
「光りについて」の歌詞は、特にその部分が大きいといえるでしょう。
夢や目標が現実になった、なってしまった日常について喜ばしいはずが、何かが足りない。
淡々とそして沸々といわれのないフラストレーションを抱えながら生きている。
きっと、歌詞の主人公の「日常」に多くのリスナーが自分を重ねることができるのではないでしょうか。
誰しも何かしら抱えながら生きているものです。
でも、その「何か」は確かなモノではなく、つかみどころがない抽象的なものでもあります。
だからこそ、実態がないから分からない、「何だかな」でやり過ごしてしまうのです。
そういう経験、誰しも人生の中で通過儀礼の様に遭遇するのではないでしょうか。
「光りについて」は、その見えない「何か」へ問いを投げかけることでリスナーの共感を得ているといえます。
光の存在と「ここ」への探求
では、徹底解釈!という事で、歌詞をじっくり見ていきましょう。
本題の通り、今回は歌詞にある「ここ」とは一体どこなのか、そして「光」の意味を解き明かしていきます。
手に入れてしまった夢
少しはこの場所に慣れた
余計なものまで手に入れた
イメージの違いに気づかなかった
人の流れ眺めながら
時計をこの目で確かめるが
季節は変わり始めていた
いつのまにか
出典: 光について/作詞:田中和将 作曲:亀井享
夢と現実のギャップでしょうか。
手に入れたかった理想に「余計なもの」まで付いてきてしまった経験。
きっと皆さんもあるのではないでしょうか。就職なんかはその最たる例でしょう。
憧れの企業に入社が決定!だけど、その理想の裏にある色々が待ち構えているのは言わずもがな。
まさに「イメージの違い」といえます。
外から見ると、夢を叶えたと成功している様に捉えられるけど、実際は心の中の葛藤が鳴り止まない。
気づけば、季節の移り変わりにも気がつかない程、ただ毎日を過ごしている。
現代人の誰もが抱えたことがある感情かもしれませんね。そんなやや鬱蒼とした歌詞から曲が始まります。
急ぎ足の毎日に立ち止まる
そうきっと急ぎ疲れたんだ ほんの少し
情熱を抱いたままで立ってたのさ
何もかも全て受け止められるなら 誰を見ていられた?
涙に流れて使えなかった言葉を 空に浮かべていた
いつも いつも
心はただここにあった
出典: 光について/作詞:田中和将 作曲:亀井享
機械的な毎日もそう長くは続きません。誰しも一度は立ち止まる時がくるでしょう。
急ぎ足で叶えた夢は、自分のためではないのかもしれません。
もしかしたら社会や家族から「認めてもらうため」だったのかもしれませんね。
「はやく、はやく」と焦る気持ちがエネルギーになる時もあれば、バランスを崩す要因になる時もあります。
それに気づいた時は、一度くらい立ち止まったっていいでしょう。
そして、そんな自分も受け止めてあげたい。
そんな答えを見つけた様な流れから、曲はサビへと続きます。
どうやら、「受け止められるなら」とあるので、主人公は全てをまだ受け止めきれない様です。
それは自分ではなく「誰」かに受け止めてほしいからではないでしょうか。
「誰」かとは、伝えられなかった言葉たちの行き先かもしれませんね。
その行き先の相手は、消耗していくばかりの日常で失ってしまったと感じていたようです。
しかし、「ここ」にしっかり存在していたことがわかりました。