仮定だけの話題ならば
答えを出すのを諦めるが
ため息の向こうで誰かがいつも
手を振っていた
もう一度君に逢えても 本当は
もう二度と届かない様な気がしてた
出典: 光について/作詞:田中和将 作曲:亀井享
ここで先ほどの言葉の行き先が明らかになっていきます。
仮定だけの話題とは、偽りの世界を意味している様に受け止められますね。
加速していく社会の中で、人としての大事なもの、「人間らしさ」が置いてけぼりにされていく感覚。
スピードに乗った都会での暮らしの先は、そんな仮想の世界ともいえるかもしれません。
急ぎ疲れた主人公は、そんな世界に答えを求めるのも、答えを出すのも諦めます。
きっと、光のさす「ここ」がそこには無いと悟ったのでしょう。
そして、「誰か」の存在を思い出します。
それは、「涙に流れて使えなかった言葉たち」を受け止めてくれる相手ではないでしょうか。
そんな「誰か」がいつも手を振って存在していてくれたことに気づきます。
「過去」と「現在」の対照的な自分
もう一度君に逢えても 本当は
もう二度と届かない様な気がしてた
出典: 光について/作詞:田中和将 作曲:亀井享
そして、それは「誰か」から「君」へと変わり、とても大切な存在であることが分かります。
しかし、その存在はもう二度と届かない遠い所にいってしまったようです。
一体「君」とは何を指しているのでしょうか。
ここでは、夢を叶えてしまう前の「自分」ではないかと考えます。
理想をただそのままに夢見ていたあの時の自分。
そして、現実を知り、心の葛藤に悶々としている自分。
そんな対照的な自分の「過去」と「現在」が浮き彫りになってきます。
なので、再会できたとしてもきっとその時の自分にはもう戻れないのではないか。
そんな虚しさを感じる一節ですね。
けれども、悲しいかな、それを一つの成長とも捉える事もできるのではないでしょうか。
「光り」が光りで在る理由
なぜ光っていられるのか
光に満たされてゆくこの世界の中 何をしていられた?
誰もがうかれて理解りあったつもりなら
ただそれだけでいられた
いつか いつか
忘れてゆく人になるさ
出典: 光について/作詞:田中和将 作曲:亀井享
光が光でいられるのは、必ず「闇」の存在があるからです。
すべてが光で溢れた世界ならば、光を認識する事もその眩しさも誰も知ることができません。
闇というダークで対照的な存在があって初めて光は存在できます。
もちろん、その逆も然りですね。
そして、この関係性は前途の「過去」と「現在」の自分にも当てはめることができるかもしれません。
二度と届かないかもしれない「君」はもしかすると、光に満ち溢れていたのかもしれませんね。
そして、現実である「この世界」も同じく光で満たされていくとあります。
しかし、この場合、上辺だけのしあわせを指している様に見受けられます。
うかれたつもりで理解りあっているからです。
主人公は立ち止まって、仮想世界の様なこの世の矛盾に気づいたのです。
ここでいう理解りあう事が皮肉に見えて仕方ないでしょう。
ただ、気づきさえしなければ、自分もそのままその世界の住人でいられたのかもしれません。
そして、マジョリティのそっちに属する事の方が楽でいられるという事も分かっているのでしょう。
だけど、そこに居続けると「君」の存在は「忘れてゆく人」になってしまうのです。
見過ごせない「光」の存在
何もかも全て受け止められるなら 何をみていられた?
誰もがうかれて理解りあったつもりなら それだけでいられた
いつも いつも
出典: 光について/作詞:田中和将 作曲:亀井享
こうして、光である君の存在を思い出した主人公は、その存在を見過ごす訳にいきません。
闇の世界から光の方へ戻ろうと覚悟を決めていきます。
何もかもを受け止める事ができない自分を許し、君との再会に踏み出す。
どうしても、取り戻したい気持ちが溢れていくのです。
ここでふと私達の現実に置き換えてみましょう。
主人公と同じ様な日常を送っていると、その先に何が見えるんだろうと考えずにはいられませんね。
大人になれば許容範囲も広がり、たいていの事では心が揺さぶられる事もなくなっていきます。
だけど、そんな「無」の状態の先に見えるのはどんな景色なのでしょう。そんな疑問も投げかけてくる一節です。
たどり着いた「ここ」の存在
過去の自分との再会
光にさらされてゆくこの世界の中 君を見ていられた
涙が流れて聞こえなかったとしても 空に浮かべていこう
いつも いつも
僕らはここにあるさ
出典: 光について/作詞:田中和将 作曲:亀井享
最後のサビ部分を解釈していきましょう。過去の自分である「君」との再会に踏み出した主人公。
この歌詞の中に、その結末が描かれている様です。
君を取り戻す事は、言い換えれば「過去の自分に戻る」事といえるでしょう。
しかし、時間を止める事は誰しも不可能ですね。
いくら当時の状況を再現しても、心の中まで過去と完全一致させる事はできないのです。
それは、身体の成長の同様に、誰しも10代の時と同じタイムで100mを走れない現実と同じです。