投げ込まれた花は、キミが眠る場所を埋めるために使いたかったようです。
ボクとキミが過ごした場所でもあったのでしょう。
花の色は赤ではなく「紅」と表現していますね。
子供が使う「赤」ではなくより鮮やかな色を表す「紅」。
歌では「あか」と読みますが「くれない」と読むことができます。
花の色はボクの心の色でしょう。
胸が燃えるほどの熱いボクの思いがこの色になりました。
それは次の歌詞からも分かります。
キミが「死ぬ」までボクは一緒にいたい。
命が終わるまで添い遂げる覚悟はできているのです。
「抱きしめる」のはキミをこの部屋から出したくないという願望もあるでしょう。
ボクの心にある燃える紅だけで染めた部屋にキミを閉じ込めておきたい。
これほどまでに強い思いをキミは知っているのでしょうか。
虚しいままに
選ばれない愛
なのになのに どうして
他の人のところへ
僕の愛の方が すてきなのに
出典: サルビアの花/作詞:相沢靖子 作曲:早川義夫
場面転換をしたここからの歌詞は、この楽曲を物語に仕立て上げます。
炎の色のように心が燃えるほど好きなキミ。そのキミはボクのことを選ばなかったのです。
先程の歌詞にもあったように、生涯を捧げたいほどボクはキミが好きでした。
きっとボクはキミと一緒に暮らすことを信じていたでしょう。
キミとボクが同じ思いでつながっていることを、疑っていなかったのです。
でも裏切られてしまいました。
キミが選ばなかったボクだけど、キミが選んだ人よりも「すてき」な愛を持っている。
素直に自分の思いをキミに伝えようと試みているのでしょう。
もうすべてが遅いのです。
単なる失恋ではない、衝撃の出来事が次々とこの後の歌詞に描かれます。
手の届かない
泣きながら 君のあとを追いかけて
花ふぶき 舞う道を
教会の鐘の音はなんてうそっぱちなのさ
出典: サルビアの花/作詞:相沢靖子 作曲:早川義夫
この3行の歌詞から分かることは今日はキミの結婚式「当日」であるということ。
結婚式は「教会」で行われるのでしょう。
式を挙げる2人のために「鐘の音」が鳴り響いています。
泣いているボクの様子から、ボクとキミの結婚式ではないことも分かりますね。
キミを引き留めようとしたのでしょうか。
ここで「ふぶき」になった花は投げ込みたかったサルビアでしょう。
愛の告白になるはずだった花は、キミには受け取ってもらえませんでした。
思いを込めた花をバラバラにして花の中で独り涙を流したのでしょうか。
紅い花びらが散る中、キミを捕まえようとしたのでしょう。
でももうキミは別の人と教会にいるのです。
式の始まりを告げる鐘は2人の将来を祝福するためのもの。
裏切られたボクにとって、それを信じることはできません。
「うそっぱち」という言葉がその心を表しているでしょう。
ただ嘘をつかれたわけではない、認めるなんて到底できないのです。
断ち切れない思いを抱えたまま、教会の前にボクは独り立ち尽くしています。
クライマックスのその後は…
目を合わせようとして
とびらを開けて 出てきた君は
偽りの花嫁
ほほをこわばらせ 僕をチラッと見た
出典: サルビアの花/作詞:相沢靖子 作曲:早川義夫
結婚式が終わって教会の「とびら」が開いた時。そこには幸せに満ちた2人が立っているはずです。
厳かな式から一転してこの後は、参列者からの祝福を受ける場面が始まります。
本来なら花嫁の表情にも笑顔が溢れているでしょう。
歌詞には幸せのスタートには相応しくない言葉が並んでいます。
「偽り」は本心を隠しているのがうかがえますね。
今日の結婚式を挙げることを、心の底から望んではいなかったのでしょうか。
表情には微笑みではなく「こわばり」も見えるようです。
これからの幸せを信じていればそのようなことはないはず。
そして最後には立っているボクの姿にも気が付きました。
わざわざ首を動かすことはしないで、視線だけでボクの方を見たのです。
この歌詞のクライマックスといえるシーンですね。
キミはボクが来ることを予想していたのでしょうか。
どこかにいるはずと思って、扉が開いた瞬間からボクの姿を探していたのでしょう。
ボクとキミは、何らかの理由で結ばれなかった2人。
キミはボクがこの場所から連れ出して逃げてくれるのを望んでいました。
そしてボクもそれを実行しようとして、今日この場所に来たのです。
でも物語りや映画のようにいかない現実に、打ちのめされているのかもしれません。
ボクが今のキミにできること。この後の歌詞は最後の場面を描きます。
どこまでも追いかける…止まらない涙で
泣きながら 君のあとを追いかけて
花ふぶき 舞う道を
ころげながら ころげながら
走りつづけたのさ
出典: サルビアの花/作詞:相沢靖子 作曲:早川義夫
このフレーズに出てくる「ふぶき」は式を挙げた後のフラワーシャワーを指しているでしょう。
結婚した2人を祝福するために参列者が花をシャワーのように投げてくれるシーンですね。
舞い散る花は幸せの象徴ともいえるでしょう。
ボクはその幸福で満たされた道でキミを求めて走ります。
追いかけるのが無駄と分かっていてもボクは走るのです。
「ころげる」という表現を繰り返すのが切なさを増しますね。
走っているのに、坂道を転げ落ちていく姿も浮かぶでしょう。
気持ちがどんどんと下に行ってしまうのも伝わってきます。
この時のボクにはキミがウエディングドレスのままで追いかけて来るという、予感があったのかもしれません。
追いかけるのではなく、キミと一緒に逃げるつもりだったのでしょうか。
ボクがいることを意識していたキミの仕草に微かな望みをつないだのですね。
でもボクを見ただけで終わってしまったのです。
ボクが「追いかけ」ても、もう花嫁姿のキミを捕まえることはできません。
それでも泣いたままでキミを追いかける理由とは?
愛を取り戻せない現実の中、涙を流しながら追い求めるのはキミと過ごした時間でしょう。
そうすれば一緒にいた日々がボクの心の中だけによみがえります。
紅く燃える恋の日々は2人にとっても幸せな時だったはずです。
泣いたままならボクの今の悲しみや後悔も伝わるでしょう。
キミを忘れたくない、キミから忘れられたくない。
だからボクは思い出の中のキミを追いかけるのです。