再びあの呪文が唱えられますが、何故か「ツルリンコ」が別の言葉になってしまいました。
たなチューも思わずツッコミを入れていますね。
なんだかぶら下がっているような表現です。
ブランコみたいですね。
足を踏み外してしまって宙ぶらりんになってしまったような感じでしょうか。
これはこれで「あらら」って雰囲気です。
2文字変えるだけでがらりと意味が変わってくるのが面白いところ。
間違いという設定ですが、これも一種の言葉遊びでしょう。
谷底から山頂へ
人生は山あり谷ありとよくいわれます。
幸せの最高潮にいることもあれば、絶望のどん底にいることだってあるのです。
少なくとも、一生どちらか片方だけということはまずありません。
つまり、今は辛くともいつか幸せを感じられる時がやってくるといえます。
辛い時「アララの呪文」を唱えたら、何かが起こるかもしれません。
間違いを犯すことだってたくさんある
時には まちがえたり
叱られて しまったり
いろんな 事がある 人生だけど
出典: アララの呪文/作詞:さくらももこ 作曲:岡本真夜
もちろん人間は完璧でもありません。
ですから間違えることもよくあります。
場合によっては、その間違いのせいで周りから叱られることだってあるでしょう。
それは子供でも大人でも同じです。
どんなに年をとっても、それは変わらないでしょう。
生まれてから最期の時まで、人生は間違いや試練の連続です。
このあたりはさくらさんの人生観をうかがえる歌詞といえますね。
前向きにさせてくれる呪文
それはそれなりでも いいのさ
ケセラ セラセラセラリンコ(セラリンコって何だよ!)
勇気が湧いてくる 呪文さ
アララ カタブラツルリンコ(そうだよソレソレ)
出典: アララの呪文/作詞:さくらももこ 作曲:岡本真夜
間違ったり叱られたりすることは誰にでもあります。
しかしながら、その辛いことを引きずるべきではありません。
きちんと間違いを正そうだとか、しっかりと許しをもらおうだとかしなくて良いのです。
適当に流してしまいましょう。
そして実際、流すために呪文を唱えるようです。
…しかし、その呪文は最初に出てきたものとは違うものでした。
「ケセラセラ」とはドリス・デイのあの有名な洋楽のタイトルですね。
ただ、今までの呪文とは違って「セラリンコ」は意味が通じません。
たなチューがツッコミを入れているのもそれが理由でしょう。
次に唱えられる呪文は冒頭と同じです。
急に直りましたね。
そしてここで初めて「アララの呪文」がどんな呪文なのかが分かります。
「勇気」をくれる呪文なのですね。
これまで人生の辛い側面を歌っていましたが、この呪文を唱えることでそんな暗い感情を吹き飛ばしてくれます。
すぐにハッピー!
ひとりで 泣いてる時も 思い出してね
あなたの 笑顔が
きっと すぐに駆けてくる
なんとなく可笑しいね
願い事 叶うかな
出典: アララの呪文/作詞:さくらももこ 作曲:岡本真夜
どんなに辛いことがあっても、一生泣き続けていることはあり得ません。
そのあと笑えるくらい良いことがやってくるものです。
人生のどん底と絶頂は、意外なまでにコロコロと変わるということでしょうか。
それが「可笑しい」といっているのでしょうか。
笑ったらスッと気分が楽になったのでしょう。
自分の「夢」の方に意識が向いたところで曲が終わります。
気分が前向きになったのではないでしょうか。
「アララの呪文」に正しいも間違いもない?
一見おかしな「アララの呪文」ですが、どんな呪文なのかは歌詞に登場している通りです。
落ち込んだ気分を明るくして、次のステージに進めるものなのでしょう。
では何故気分が前向きになるのでしょうか。
それはきっと、呪文そのものが「へんてこ」だからです。
改めて呪文を見直すと、くすっと笑ってしまいませんか?
さくらさんはそれを狙っていたように感じられます。
大切なのは「笑えるかどうか」。
呪文が正しいか間違っているかはあまり問題ではないのではないでしょうか。
人生が間違いだらけでも大丈夫なように、呪文だって間違えても別に良いのです。
元気になれれば、「ツルリンコ」あろうが「ブラリンコ」であろうが効力は変わりません。