楽曲の情景
いない人を想う歌詞
今までを想って 今から垂らして
囲まで濡らして あなたを解りたいわ
出典: 誰そ彼/作詞:カワノ 作曲:カワノ
同曲の登場人物は歌い手である主人公と、「あなた」と呼ばれる2人です。
同曲の歌詞は変わらず、主人公目線で描かれていきます。
あなたからの反応や、主人公への語り掛けは一切ありません。
さらにこの歌詞を見るに、主人公とあなたは長い間一緒にいたようです。
しかし、主人公は「あなたを理解したい」と表現。
これはなぜでしょうか。
主人公に理解できないようなことをあなたがしたのかもしれません。
さらには「昔の記憶をぬらす」という趣旨の表現。
これは涙を彷彿とさせます。
となると、2人はもう一緒にいないと考えるのが自然でしょう。
主人公のもとから、あなたは消えてしまったのです。
しかしそれでも主人公はあなたを想い、理解しようとしています。
舞台は2人で過ごした街
冷えた部屋を染める夕日が「鮮やかさ」そのものだった
冷えた日々をくすぐっていた喜びはもう尽きてしまった
出典: 誰そ彼/作詞:カワノ 作曲:カワノ
冒頭の歌詞は、上記のようにつづられています。
全ての文章が過去形で終わっていることが分かりますね。
つまりここで示されていることは全て、過去のことだと考えられます。
そのため毎日の喜びや西日の美しさは、すでに失われているのです。
ではなぜ美しかった街が、その輝きを失ったのでしょうか。
これは先ほどご紹介した歌詞とあわせて考えると、想像ができます。
おそらくそれは「失恋」のせいでしょう。
主人公にはどうやら、恋人にあたる存在の人がいました。
しかしその人は今や、ここにはいません。
それでも主人公はその人を想います。
恋人を失った喪失感は非常に強いものです。
当たり前に傍に居た人がいなくなることは、心に大きな喪失感をもたらします。
きっと主人公が街に感じた変化は、このせいだと考えられます。
一緒に過ごした街。
そして西日の差し込む部屋。
2人で見れば、その景色全てが美しく見えたことでしょう。
しかし恋人なくしては、どこか味気ない風景に見えてしまう。
そんな切ない心情をたった2行で暗に表現しています。
【誰そ彼】の意味
【誰そ彼】の語源
あなたを閉じ込めていた黄昏
私を待つのは君と黄昏
出典: 誰そ彼/作詞:カワノ 作曲:カワノ
同曲は【誰そ彼】というタイトルです。
この意味について考えていきましょう。
現代において、【誰そ彼】という言葉はあまり馴染みがありません。
この言葉は古語に分類され、「あなたは誰ですか?」という意味です。
ちなみにここから派生した言葉が、歌詞中にも多く登場する「黄昏」。
黄昏時は夕暮れ時のことです。
電気の無い昔では、黄昏時になると人の顔を識別するのもやっとの明るさ。
そこで出会った人に「誰そ彼(誰ですか)。」と聞いたといいます。
ここから黄昏という言葉が生まれたのだとか。
歌詞では黄昏という言葉が頻出し、曲中のキーワードとなっています。
おそらく2人の記憶は黄昏時に多く紡がれたのでしょう。
用事を終え、家に帰る主人公。
そのころには辺りが暗くなり、心地よい黄昏とあなたが待っている。
そんな情景が浮かびますね。
主人公はそんな過去の光景を思い返しているようです。
しかし、それも過ぎた昔の話。
一生懸命忘れようとしていることも歌詞からうかがえます。
黄昏とかけられた意味
住み慣れた町の知らない道くらいは
覚えておいて損はない
行き慣れた道
会えない人と偶然出くわして目を伏せないように
出典: 誰そ彼/作詞:カワノ 作曲:カワノ
このように、同曲では【誰そ彼】という言葉と黄昏がかかっています。
さらにこの歌詞では、主人公が自身の街の道を開拓する様子が描かれていますね。
これを見るに、まだどこか主人公は恋人の影を追っているようにも見えます。
当然、別れた相手と街で出会ったら気まずいでしょう。
歌詞の通り、思わず下を向いてしまうかも知れません。
そんな主人公の心情を描いたこの歌詞。
黄昏の語源となった情景を彷彿とさせます。
今ここで2人が出会えば、お互いの顔を二度見するでしょう。
暗がりでよく見えなければ、確認するためまさに「誰そ彼」と聞く状況です。
今ではこんな言葉を使わないにしろ、語源と似通った情景描写を読み取れます。
作詞作曲を担うカワノの遊び心かもしれませんね。