「革命」は映画新解釈・三国志の主題歌 個性的なメロディラインと福山雅治の独特の感性に注目
話題の映画とのタイアップ
「革命」は2020年に発売された福山雅治の12作目のオリジナルアルバム「AKIRA」の中に収録された1曲です。
「AKIRA」に収録された楽曲は17曲の内、32作目のシングルCDとしてリリースされています。
「聖域」以外の16曲は全てCDに初めて収録されており、「革命」もそのうちの1つに数えられているのです。
福山雅治は映画やドラマに数多くのタイアップ作品を送り出してきました。
「革命」は話題となったコメディ映画「新解釈・三国志」のタイアップ曲として知られています。
福田雄一監督がメガホンを取ったことで話題となった映画のためCMなどで耳にされた方も多いことでしょう。
「新解釈・三国志」は魏・呉・蜀の3国が争う時代に生きた武将たちの運命をコミカルに描いています。
映画の主題歌として物語を力強くそして物悲しく演出し、物語の中に観客を引き込んでいくのです。
今回はそんな「革命」の歌詞の意味について考えてみました。
目の前の困難にそれでも進んでいく、というメッセージと「革命」によって何を変えたいのか。
福山作品の魅力
俳優としてミュージシャンとしてデビュー以来マルチな才能を発揮し続ている福山雅治。
どのようなかかわり方であったとしても、その作品は話題となり注目を集めています。
そんな福山作品の魅力とは一体何なのでしょうか。
それは常に挑戦をし続ける姿にあるのです。
国内のみで充分な販売シェアがあるにも関わらず精力的に海外公演を行うだけではりません。
女性ファンの多い福山雅治ですが、時に男性ファン限定のライブを行うことで知られています。
目の前の客を喜ばせるだけではなく、前向きに挑戦する姿勢を見せていき新たな魅力が更新されているのです。
「革命」の歌詞もそんな福山の世界観が存分に表現されています。
人の行く末の際限とは
命の限り進んでいくという決意
私は行く
私の果て
この生命の
宿命の果てまで
出典: 革命/作詞: 福山雅治 作曲: 福山雅治
「革命」のメロディは、悲しげなピアノの伴奏と静かな歌いだしで始まります。
命の宿命の果てまで行くという重大な決意とは裏腹な表現です。
私の果て、この命の宿命の果てという歌詞が出てきますが、一見すると同じ意味あいの日本語に見えます。
ここでの命の宿命の果てとは、自身の物質的な運命、つまり命の終わりを指していると考えられるでしょう。
では、最初の私の果てとはどのような意味なのでしょうか。
この言葉は進んでいく自身の力の限り、つまり私の限界、などの言葉に置き換えられるのです。
つまり「私」は力の限り、命が終わるまで進み続けるという解釈をすることができます。
これは「私」が死ぬまで戦い続ける人生を送る、などの静かな決意を表現する歌いだしです。
今自分が生きる時代に向き合って生きていくという歌詞は、映画の主題歌としてマッチしていると感じられます。
なぜなら「革命」は戦乱の時代に生まれた英傑たちの物語と同じように、人の生き方を語っているからです。
自身の生まれた意味は何なのか
何のためにこの時代に
生まれ来たのか
出典: 革命/作詞: 福山雅治 作曲: 福山雅治
自身がなぜこの時代に生まれたのか、人生100年時代ともいわれる世の中で思慮を巡らせている方も多いでしょう。
生まれた日は選べませんが、どのように生きていくかは、今の時代を生きている自身でしか選択ができません。
実は「革命」が収録されている福山雅治のオリジナルアルバムには秘密が隠されています。
「AKIRA」というタイトルは、福山雅治が17歳の時に他界した、実父の名前であるといわれているのです。
1990年にデビューし30周年を迎える節目の年に発表したアルバム。
福山が17歳の時に他界した父の死と向き合っているかのようです。
“死生観を描く”というところにフォーカスを絞っている。と「AKIRA」の特設サイトで本人が語っています。
自分以外の人物の死と真正面から向き合うことで、自らの運命を悟ることもあります。
もしかしたら福山雅治も歌詞の中にそういったメッセージを込めているのかもしれません。
困難に立ち向かう心
「態度を変えよ
我々に従え
逆らうなら
排除してしまうまで」
支配するのか?
同調圧力で
だが心は叫ぶ
屈してはダメだと
出典: 革命/作詞: 福山雅治 作曲: 福山雅治
前半のセリフのような囲いは誰からの言葉なのでしょうか。
歌詞からは逆らうものに制裁を加えると言わんばかりの高圧的な様子が読み取れます。
後半はそうした力に屈しては駄目だと自身を諭している様子が伺えます。
そして注目するべきは「同調圧力」で支配するという一文です。
同調圧力とは特定のグループで少数派に対して多数派に合わせるように意見を誘導していく力のことになります。
つまり、ここでの「支配者」とは特定の人物ではありません。
多数派の声をまるで正義の声であるかのように振る舞う方々のことを指しているといえます。
現実の世界でも、暗黙の内に多数派の意見に流されていく場面を体験した方も多いでしょう。
しかし、「革命」の歌詞では多数派や少数派ではなく、自身の心の声に従うようにと、己を奮い立たせているのです。