「二人のアカボシ」は別れの歌

「アカボシ」は明けの明星

夜明けの街 今はこんなに
静かなのにまたこれから始まるんだね
眠る埋立地(うみべ)と 化学工場の
煙突に星が一つ二つ吸い込まれ

出典: 二人のアカボシ/作詞:伊藤俊吾 作曲:伊藤俊吾

「アカボシ」すなわち「明星」とは「金星」を指す言葉です。

日暮れの時に見える金星を「宵の明星」。

夜明けの時に見える金星を「明けの明星」といいます。

この曲は「夜明けの街」が舞台になっています。

したがってこの「アカボシ」は「明けの明星」ということになります。

そして「うみべ」という言葉がある通り、舞台は海沿いの街なのでしょう。

キンモクセイの主なメンバーは神奈川県相模原市の高校に通っていたそうです。

神奈川県の海沿いの工場地帯といえば川崎港か、みなとみらいの辺りでしょうか。

哀愁漂う港町の風景が思い浮かびますね。

主体を「夜」にする発想

沢山並んだ 街の蛍達も
始まる今日に負けて見えなくなってゆく
君とも離れることになる

出典: 二人のアカボシ/作詞:伊藤俊吾 作曲:伊藤俊吾

この曲にとっての「夜明け」は、普通とは逆の発想で書かれています。

「夜明け」は一般的に前向きなイメージが持たれています。

明けない夜はない」という励まし言葉が良い例かもしれません。

しかしこの曲では「夜明け」を後ろ向きに捉えています。

夜の街の明かりが夜明けを迎えて消えていく。

その切ない様子が詩的な表現とともに描き出されています。

そしてこのパートの最後で、初めて「別れ」の描写が出てきます。

叶わない思い

あの高速道路の橋を 駆け抜けて君つれたまま
二人ここから 遠くへと逃げ去ってしまおうか
消えそうに欠けてゆく月と 被さる雲はそのままに
二人のアカボシ 遠くへと連れ去ってしまおうか

出典: 二人のアカボシ/作詞:伊藤俊吾 作曲:伊藤俊吾

空が白み出す夜明けの空に月がまだ浮かんでいる。

その月が二人の「儚さ」を象徴しているようです。

しまおうか」という言葉。

これは古語でいう「反語」的に使われています。

相手を「連れ去る」ことも二人で「逃げ出す」ことも出来ません。

彼らは別れることしかできないようです。

「許されざる恋」の結末は

「乱れ髪」そして「ミヤウジヤウ」

橋の継ぎ目と 二人に届く
電波には懐かしいあのメロディーが
聞こえてるかい?乱れ髪に
しみるようミヤウジヤウ ハルカカナタ

出典: 二人のアカボシ/作詞:伊藤俊吾 作曲:伊藤俊吾

この部分には「ミヤウジヤウ」という不思議な言葉が出てきます。

これは「明星」の古い仮名遣いです。

何故このような表記にしたのか。

その鍵は「乱れ髪」という言葉にあります。

【キンモクセイ/二人のアカボシ】歌詞の意味を考察!恋人との別れがテーマ?!アカボシに込めた想いとは!の画像

乱れ髪」は明治34年に発表された詩集です。

著者の「与謝野晶子」さんは明治から大正時代に活躍された詩人でした。

この詩集には、後に夫となる「与謝野鉄幹」さんへの恋心が赤裸々に書かれています。

鉄幹さんにはすでに妻子がいました。

つまり晶子さんの思いは「許されざる恋」だったのです。

しかしこの二人は後に夫婦となります。

このスキャンダルは文壇を震撼させ「乱れ髪」も非難の対象になりました。

ここで思い出して欲しいのは先ほど解説したサビの歌詞です。

「逃げだす」ということは二人の恋に後ろめたさがある証拠でしょう。

この曲の二人も与謝野夫妻と同様「許されざる恋」だったのです。

見渡せば青く続く信号機が
二人の想いを照らせばいいのにな
明日の僕らは何処にいる?

出典: 二人のアカボシ/作詞:伊藤俊吾 作曲:伊藤俊吾

信号機が青なのに二人はどこにも行けません。

逃げ場を失った二人の悲痛さがここでは書かれています。

このままだと「明日」は一緒にいられない。

別れの時が近づいていることが窺えます。

消えてゆく「アカボシ」