さて、1番の歌詞をみてきましたが、曲名にもある「ありふれた光」という表現は2番以降では出てきません。
ここで、その「ありふれた光」が何の象徴なのかを考えてみましょう。
日常
地球上では、北極や南極付近にいかない限りは太陽は毎日東から昇り、西へと沈みます。
雲や星の位置関係が原因で見えないときもありますが、月も太陽の光を反射していますね。
太陽から降り注ぐ光や熱のエネルギーは太古に生命を創造し、今なおその生命活動の源です。
太陽の熱があるからこそ蒸発が起こり、雨が降り、川ができ、大地が侵食されます。
このように地球の姿形もまた、太陽によって作られました。
当たり前のように存在する太陽の光や、それによって映し出される風景は、みな家族と考えられますね。
自らが「敵」と思っているものはただの思い込みで、実際はそうではないかもしれません。
「ありふれた光」とは、こんな「日常」そのものと考えることができます。
彼女の最も近くにいる「僕」
「光」という言葉はよく比喩に用いられます。
「ありふれた光」は、彼女にとって身近にいる人間のことを表していると捉えることもできますね。
いざとなったらいつでも助けにいく。
暗くなった心に「安心と平穏」という暖かい光を届けに。
このMVの世界だと、森田想にとっての「ありふれた光」は田中そのものではないでしょうか。
「すべてのありふれた光」の歌詞を解説!~2番以降~
それでは2番以降の歌詞についてもみていきましょう。
光は、寄り添う
幾つもの夜を越えて
朝になればそれだけでも
特別なものはどれだ
何にも無くても意味が無くても
この身をくれてやろう
あしたはどっちだ
出典: すべてのありふれた光/作詞:田中和将 作曲:亀井亨
この歌詞をみると、やはり田中が「ありふれた光」であるように感じられます。
特別なもの、刺激的なもの、有意義なもの…。
多くの人間は他の人間との差別化を意図して、これらのものを人生で探し続けます。
しかしそれよりも大切なことは、「今日を無事に過ごし眠りにつき、明日を迎える」ということ。
道標がないのであれば僕が探しにいこうというクールな決意が歌詞に綴られています。
リライト
悪意が裟婆を乱れ飛んでる
世界なんか塗り替えてしまえ
出典: すべてのありふれた光/作詞:田中和将 作曲:亀井亨
「娑婆(しゃば・さば)」とは現実世界のことです。
「闇」が多く、「病み」に包まれそうな娑婆なのであれば、強い光で変えてしまえばいい話。
世界はそれぞれ自分を中心として構築されている。
ということは、自分の気の持ち様によって良くも悪くもなるということです。
新しい光を当てて(Relight)、描き変える(Rewrite)ことで抜け出そうというメッセージですね。