「め組のひと」が生まれた1983年はバブル経済の直前。
戦後の日本経済が急成長をする真っただ中で生まれた曲です。
時代としては、がむしゃらに働いて日本経済を盛り上げてきた終わりごろ。
盛り上がった好景気の恩恵を受けようとする体制に移行していた時代でしょうか。
仕事もばりばりやるけれど、遊びだって派手に楽しむ。
そんな若者がたくさん見られ始めた時代です。
この歌に出てくる若者たちは、そんな時代の申し子といえます。
きらきらとした夏の浜辺で、おしゃれなスイムウエアに身を包む。
女性は美しい肢体で男たちを魅了します。
男性はそんな女性との「アバンチュール」を夢見て競うのです。
ぼくの彼女になってよ
「ひと夏の恋」という言葉がこの時代にはあふれていたようです。
今でもひと夏の恋はあちこちで囁かれますが、この時代は特ににぎやかでした。
ひと夏の恋という言葉の意味はいろいろありそうです。
この歌の時代では、「インスタントでコンビニエンスな恋」。
というイメージが浮かびます。
加えて情熱的な「恋」。
一人の魅力的な女性を「落とし」たいと、男性たちはあれこれ策を練ります。
美しい彼女の目線が変わるたびに気もそぞろでしょう。
彼女の美しさ、魅力は夏の素敵な罪だと男性たちはこぞって胸を焦がします。
彼女に夢中
小粋だね 髪に飾った花も
細い腰 あわせ揺れるよ めツ!
ひと夏の 恋を引き込む eye eye eye
気まぐれに 片目閉じるよ めツ!
出典: め組のひと/作詞:麻生麗二 作曲:井上大輔
美しくしなやかな姿と、引き込むようなまなざし。
それらを惜しげなく男性たちに向ける彼女はどんな女性なのでしょうか。
男性たちが夢中になっている「め組」の彼女についてみてみましょう。
ビーチの彼女
ビーチのマドンナとして浜辺の男性たちを魅了する「め組」の彼女。
彼女はどんなタイプの女性なのでしょうか。
美しくしなやかなボディラインや、しっかりと力を持った目。
男性のようにからっとしていて、遊び上手。
そんなイメージでしょうか。
ここにも時代背景が強く反映しているようです。
1970年代ごろまでの日本女性は、「良妻賢母」が理想像とされています。
良き妻であり良き母であることこそ、良き女性とされていました。
高度成長期を経て、日本ではその価値観自体がゆっくりと変化していきます。
女性の地位向上が目立ち、女性も働き社会を支える時代に入りました。
そんな時代背景の中で生まれたのが、この歌に登場する「め組」の彼女です。
本来は男性に使われるべき「粋でいなせ」な気風の女性。
「め組のひと」は自分で稼ぎ、自分で決断するそんな女性の象徴であるようです。
誘いかけたり
遊び上手で小悪魔的なめ組の彼女。
彼女は目力で男性たちに誘い掛け、思わせぶりな態度を振りまいているようです。
ここでも、1980年代以降の女性の新しい姿がありありと描かれています。
かつての女性たちは男性からのお誘いを待っていることが通常でした。
時代が流れ、経済的に自立しあらゆる面で女性が主導権を握るようになりました。
それは「恋を選ぶ」という場面でも発揮されているようです。
自分の魅力を存分に理解し、それをもって欲しいものを手に入れる。
美しいだけでなく、そんな自由さをも獲得した彼女は、時代の象徴といえます。
彼女はこの夏の主役
夏に繰り出した め組のひとだね
今年はお前が 渚きってのアイドル
Baby,Baby,Baby,be my girl
抱きしめたい be my girl
お前が微笑めば すべてが上の空
男たちの心 奪うたびにお前
きれいになってくね
夏の罪は素敵すぎる
出典: め組のひと/作詞:麻生麗二 作曲:井上大輔
夏の日差しを浴び美しく輝くめ組のひとに、男性たちはますます夢中になります。
彼らにとって彼女はどんな存在なのでしょうか。
気になる彼女
め組の彼女は、ビーチの男性たちにとってどんな存在なのでしょうか。
アイドルと呼んでいることからも、手が届きそうで届かない。
でも、がんばれば届くかも。
という気持ちが伺えます。
男性たちは、ビーチのアイドルの取り巻きとなって彼女に選ばれようと必死になっています。
日常の生活で生まれる穏やかな恋とは違い、奪い合うような恋。
非日常の恋をゲーム的な感覚で彼らは楽しみながら苦しんでいるようです。
そしてそんなゲーム的な恋を彼らは「夏」という季節のせいだと歌っています。