解釈というより、翻訳?!
ご存知のように「自動車ショー歌」にはたくさんの自動車名が出てきます。
今聴くと古くてわからない車名もありますが、全て掛け詞になっているのです。
だからこそ、わからない。
結構強引に掛けてあったりするので、「え?」となる箇所が多々あります。
この曲の歌詞解釈をするにあたって、解釈というより翻訳する方が近いかもしれません。
まずわかりやすい日本語に直す。
すると、モヤモヤしていてわからなかった歌詞の世界がパッと開けます。
では、早速「翻訳」を始めて参りましょう。
1番の歌詞翻訳
気になるあの子を
あの娘をペットにしたくって
ニッサンするのはパッカード
骨の髄までシボレーで
あとで肘鉄クラウンさ
出典: 自動車ショー歌/作詞:星野哲郎 作曲:叶弦大
冒頭から自動車のオンパレードです。
大体一節に1つの自動車が出てくるようなペースですね。
その自動車名の方はいかがでしょうか。
カタカナのところは全て自動車名です。
ちらほら現代の私たちにも分かるものもありますね。
日本を代表する企業の1つトヨタの「クラウン」だったり、「ニッサン」だったり。
「フォード」もよく聞きます。
さて、肝心の翻訳をしていきましょう。
まずペットにしたいとは、すなわち彼女にしたいということです。
この曲リリース当時の恋愛感でいえば、「可愛いハニー」のような感情でしょうか。
男性優位な雰囲気です。
気になるあの子を彼女にしたくて。
ここからこの曲はスタートします。
「ニッサンする」とはどういう意味でしょうか。
これは「日参」、つまり毎日通うということです。
続いて「パッカード」、これは「バカだろう」だと考えられます。
つなげて翻訳すると、「射止めたいからって毎日通うのはバカだろう」となります。
続けて次の歌詞。
シボレーという車もよくきく車種ですね。
これは「搾られる」という意味でしょう。
「金銭的に」であったり、「肉体的に」であったり。
言ってしまえば男性は女性から色々と搾り取られるわけですね。
そして次はわかりやすい。
クラウンは「食らう」という意味で、「肘鉄を食らう」と解釈できると思います。
現代との恋愛観の違い
なんだかこの曲には当時の恋愛観がはっきり表されているように思えます。
現代でこそ「草食系男子」という言葉がありますが、それと全く反対の感じ。
この曲はガツガツした男が主人公です。
しかし、当時からいえば普通だったのかもしれません。
平安時代は男が女の家に覗きにいくのが当たり前だったようです。
そこまでとはいいませんが、男がいまより活気付いていた時代。
そんな印象をこの曲から受けるのではないでしょうか。
気になる「あの娘」は誰?
ジャガジャガ飲むのもフォドフォドに
ここらで止めてもいいコロナ
出典: 自動車ショー歌/作詞:星野哲郎 作曲:叶弦大
この部分の歌詞から、先ほど出てきた「気になるあの娘」の正体が分かります。
それは「飲み屋のお姉様」でしょう。
クラブなのかスナックなのか、そういう夜のお仕事をされている人だと思われます。
1行目に出てくる見慣れないカタカナ。
まずお酒を「次々にたくさん飲む」の意です。
「ほどほどに」のダジャレとして使われたフォードは、高級輸入車のフォードです。
ここまでくるとなんだか親父ギャグのようですね。
要するに、「飲みすぎるな!」ということです。
ここから、飲み屋のお姉様が出てくるわけです。
毎日通うというのは飲み屋に、だったんですね。
この1行目の歌詞は飲み屋のお姉様の言葉です。
お店に通ってくれるのは嬉しいけれど、お客様の身体のことも考えていたのでしょう。
そして最後に、「コロナ」は「頃だ」。
「もう飲むのをやめよう」という意味になります。
3番の歌詞翻訳
男はやっぱり辛い!
あなたは私のブルバード
ミンクス買うのよ約束を
キャロルと忘れてダットサン
今度逢ったらコンテッサ
出典: 自動車ショー歌/作詞:星野哲郎 作曲:叶弦大
ブルバードとは、「ブルーバード」と捉えてください。
ブルーバード、つまり青い鳥です。
幸せを運んでくれる人だ、ということでしょうね。
あなたは僕の幸せそのものだ、という感じです。
ミンクスは、ミンクのコートのことだと考えられます。
ミンクのコートを買ってあげると、約束していたのでしょうね。
しかし悲しい結末が待っています。
一緒にコートを買いに行こうと好きな女性のことを待っていたんですね。
すると、女の方がその約束を忘れていた。
約束を忘れて来なかったんですね。
これだから男というものは悲しい。
本当に大切に思われていない。
なんならお財布としか思われていないんだと、知ってしまうわけです。
その部分が「キャロル〜」の部分です。
「キャロルと」はコロリとの意です。
ダットサンは、「脱兎の如く逃げ出す」からきていると考えられます。
そして次、コンデッサは「コテンパンさ」の意でしょう。
「次に顔を見たらこらしめたい!」という意味です。
しかし男としてそれはできないというのが辛いところです。
男の、女性に対する苛立ちが感じられますね。