邪魔になって捨てた後で必要になる傘みたい
悪いのは全部自分で 本当に馬鹿みたい
出典: 本当/作詞:尾崎世界観 作曲:尾崎世界観
別れた後に待っているのは、後悔。
「邪魔になって捨てた後で必要になる傘みたい」
「悪いのは全部自分で 本当に馬鹿みたい」
自らの思いや行動を素直に省みるような歌詞です。
しかし奇妙なことに、そこにあるはずの悲しみや混乱といった感情の揺れは、全く伝わってきません。
まさに、収録アルバムのタイトルから感じ取れる、諦めの境地そのもの。
だからといって、ことさらに絶望感が強調されているわけでもないのです。
感情表現がフラットなこの歌詞は、曲全体に空虚感を漂わせることに成功しています。
それもやはり、ある意味で「本当」のことを表現しているような気がします。
大切なものを失ったときに感じるのは、悲しみばかりではありません。
心にぽっかり開いた穴。
そんな空虚感が存在するのも、「本当」のことなのです。
「願ってます」というエゴイズム
「捨てた傘」に例えるドライさ
「本当」の歌詞を、ここまで読み解いてきました。
最後にもう1つ、挙げておきたいポイントがあります。
ささやかな「当たり前」を持続させるため、あるいはもう一度手に入れるため、主人公は何をしたのか
それは、「願ってます」という行動でした。
どこか他人事のようで、頼りなくも思えながら、奥ゆかしい響きから謙虚に聞こえる言葉でもあります。
主人公は、心が優しい素直な人。
リスナーは、そう思うかもしれません。
しかし、歌詞をよく読むと、願っているのは、別れた彼女の幸せなどではありません。
自らに「当たり前が帰って来てくれますように」という欲求だけなのです。
そんなうがった見方をすれば、エゴイズムが見え隠れしているようにも感じるような歌詞。
先ほど紹介した「邪魔になって捨てた後で必要になる傘みたい」という言い回しも、しかりです。
大切だったはずの彼女を「捨てた傘」に例えてしまうドライさは、意図されないものだったのでしょうか。
本当はとても悲しいはずなのに、エゴイズムやドライさを持ち出して空虚な気分を装っているとしたら。
主人公の気持ちは、やはり捻くれていると思わざるを得ないのです。
絶望ではない諦め
つかみどころのない新しさ
「ずっと手にしてた物」を失ったことが、淡々とした言葉で歌われているこの曲。
しかし、そのサウンドは素直で美しく、温かい響きを持っています。
諦めをにじませながら、決して絶望しているわけではない。
空虚さを鮮明にしながら、脱力感に包まれているわけでもない。
自らの内面と向き合った言葉を紡ぎつつ、ただ孤独に酔いしれているのとも違う。
つかみどころのない感情を表現しているクリープハイプの音楽には、新しさがあるのです。
尾崎世界観の感性
その新しさは、クリープハイプを率いる尾崎世界観というアーティストの存在感そのものともいえます。
諦めを漂わせながら、絶望感や脱力感という安易な表現に溺れない芯の強さ。
「本当」という曲では、「当たり前」だった日常がいつの間にか消え去っています。
そこに込められた真理は、「当たり前」は手に入れたかどうかさえ分かりにくいということ。
そして、続けることがとても難しいということ。
さらに、失ったことに気付いたところで、できるのは願うことくらい。
その真理は、どれだけ大きい悲しみをぶつけたとしても揺らぐことはありません。
彼が小説やエッセイで才能を発揮しているのも、物事の真理を冷静に見抜く鋭い視点を持っているからでしょう。
エピローグ
3rdアルバムの収録曲
安藤サクラが主演した2014年の映画「百円の恋」の主題歌に起用された「百八円の恋」。
「一つになれないなら、せめて二つだけでいよう」から、シングルカットされました。
「痛い痛い痛い」と繰り返す歌詞が印象に残るこの曲。
OTOKAKEライターが、歌詞の意味を解き明かした記事です。
ぜひ、ご覧ください!
クリープハイプの「百八円の恋」歌詞の意味を紐解く - 音楽メディアOTOKAKE(オトカケ)
クリープハイプの歌詞解説第五弾。ボクシングを舞台に描かれた「百円の恋」の武正晴監督にオファーされ、映画の為に書かれた書き下ろし曲です。恋は百円払っても、愛は八円しか戻ってこない。仕事も彼氏も希望も家も無い主人公のどん底から這い上がっていく女性の心の葛藤とやっと手に入れた新しい自分の姿を描いた歌詞を紐解いていきます!