上記の歌詞から眼下にコバルトブルーの美しい海が広がっている状況を想像できるでしょう。
大海原は、しばしば冒険の舞台となります。
イカロスも自由を探し求める冒険者となり、海上を飛行していたのかもしれません。
危うさが垣間見られる
イカロスは、両手に付けた翼が推進力となり、自由自在に飛べるようになりました。
成功体験を契機に、あさましい面を覗かせます。
両手の羽根をはばたかせ
太陽めざし飛んで行く
出典: 勇気一つを友にして/作詞:片岡輝 作曲:越部信義
Bメロ後半に綴られた上記の歌詞は、イカロスの傲慢さと慢心を表しているのです。
常に上空に位置する太陽は、ギリシア神話において民衆に崇められ、神格化されていました。
神である太陽は、簡単に近づける存在ではありません。
しかしながら、勘違いしてしまったイカロス。
「自分なら太陽にたどり着けるのではないか」と考えるようになっていたのです。
無謀にも遥か彼方の太陽に向かっていきました。
一見、太陽が明るい将来や望みを想起させますが、詞には全く違う意味が込められています。
どれだけ人間が趣向を凝らしても、大自然の驚異に太刀打ちできません。
イカロスが付けていた翼は、太陽光はもちろんのこと、海上の湿気にも耐性を持っていませんでした。
まさに諸刃の剣。
一定の条件が揃っていなければ、自由に飛行できない側面を持っていたのです。
Cメロでテイストが一変
Cメロは、冒頭からソロとバックコーラスの歌声が組み合わさり、Aメロ・Bメロとは異なる雰囲気を感じ取れるでしょう。
詞の悲壮感を見事に再現しています。
インパクトが非常に大きいため、ネット上で「トラウマ曲」「物悲しさが半端ない」としばしば話題になっているようです。
羽根と翼の違い
赤く燃え立つ太陽にロウでかためた鳥の羽根
みるみるとけて舞い散った
翼うばわれイカロスは
堕ちて生命(いのち)を失った
出典: 勇気一つを友にして/作詞:片岡輝 作曲:越部信義
イカロスに自由と勇気を与えてくれた翼。
歌詞に登場する「翼」は、「羽」と「異」を組み合わせた漢字です。
翼が鳥の羽とは異なることを改めて示しています。
イカロスの父親は、ロウが溶けてしまい、翼がバラバラになることを危惧していました。
親の心子知らず。
故事ことわざを体現するかのように、イカロスの中で父親の言葉は忘却の彼方に消えてしまったのです。
大空を飛ぶ中、今まで経験したことのない快感と開放感に酔いしれたイカロス。
少しずつロウが溶け始めた時点で父親の忠告が脳裏を駆け巡ったのではないでしょうか。
自分はロウで作った翼を付けていたのだ…。ロウは太陽光の熱に弱いのだ…。
歌詞の「~舞い散った」は、羽根が散り散りになっている光景だけでなく、無情にもイカロスの命が散る様子も描いています。
神による戒め
児童向けの曲で歌の主人公となる人物の死が描かれるケースは、非常に珍しいです。
そのような既成概念にとらわれず、【勇気一つを友にして】では、主人公の逝去を如実に描き出しています。
堕ちて生命(いのち)を失った
出典: 勇気一つを友にして/作詞:片岡輝 作曲:越部信義
このフレーズは、Cメロを締めくくる部分のみに配されていて、その他の箇所で使われていません。
「堕ちる」という表現は、ただイカロスが上空から落下した訳ではないことを示唆しているのでしょう。
そもそも「堕」は、精神的に好ましくない状態を表す際に用いる漢字です。
文学作品では、神や悪魔など、人知で計り知れないものによって悪影響が及ぼされている場面で多用されています。
父親の言いつけを聞かず、ひたすら上空を目指したイカロスは、太陽である神から報いを受けたのではないでしょうか。
そして、地面に堕ちたのではないかと推測できます。