歌詞を徹底解釈!自動車という「相棒」に何を思う?
歌詞に重きを置いた制作スタイル
さてここから「相棒」の歌詞を解釈していきましょう。
曲も素晴らしいのですが、NakamuraEmiの楽曲というのは歌詞に特に重きが置かれています。
今回はプロデューサーのカワムラヒロシ氏が考えたコードからイメージを膨らませたそうですが、制作の際は歌詞から先に作られることが大半だとのこと。
通常なら歌詞にこだわり過ぎるとメロディとの擦り合わせが大変になってしまうような印象。
しかしこれも彼女の自由な歌唱スタイルなら、なんら問題にならないのでしょうね。
歌詞に重きを置くようになったのはヒップホップからの影響が大きいという話も。
確かにメロディを持たないラップでの表現となると、何を言っているかに掛かってくる比重も大きくなります。
そのジャンルの人の詞に対する感性が研ぎ澄まされることにも納得がいきますね。
彼女の乱れた様子が物語るのは
髪は崩れちゃって 顔もぐしゃぐしゃで ドアを開けたら力抜けた
一番前にシートひいて ホットのコーヒーを置いて 今日も一緒に帰ろう
出典: 相棒/作詞:NakamuraEmi 作曲:NakamuraEmi、カワムラヒロシ
一日の終わりを感じさせる冒頭部分。
その乱れた様子から、ただ単に疲れているだけではないということも伝わってきます。
シートを引いた位置は、きっと彼女の一番運転しやすい体勢に。
やっと一人になれたその空間で飲むホットコーヒーの温もりは、下手な言葉よりずっと心を癒してくれます。
大きなため息とともに 涙で前が見えない 相棒よワイパーを頼むよ
ハンドルを強く握り 独り言が始まった
本当はあの時もっとこう言いたかったんだよね ぐちぐちぐちぐちぐちぐち
練習でもしとくか 次こそはがつんとわたしだって言えるように
こんなダサい私 こんなダサい話 ここだけの話
出典: 相棒/作詞:NakamuraEmi 作曲:NakamuraEmi、カワムラヒロシ
人に囲まれて一日生活をしていれば、理不尽なことの一つや二つもあるでしょう。
主人公はどうやらそれに対して何も言い返せない自分の不甲斐なさに嫌気がさしているようです。
本心を主張するのは勇気のいること。
社会人として働いていれば、こういった悔しさに覚えのある方も多いのではないでしょうか。
思い切り泣いたって、人には言えないような愚痴を言ったって、この相棒は絶対に他言したりしません。
どんなにうんざりするような内容でも、嫌な顔一つせずに聞いてくれます。
何処へ行くでもなくただ走りたい
気がすむまで 遠回り付き合って もっと君も走りたいだろう
少し窓を開けよう 吐き出した言葉
あの町に置いてくの 君は得意でしょ
嬉しい思い出も 悲しい思い出も
嬉しい思い出も 悲しい思い出も
あの町に置いてくの 君は得意でしょ
涙の落ちる音を聴きながら
笑っちゃうような私の愚痴を聞きながら
出典: 相棒/作詞:NakamuraEmi 作曲:NakamuraEmi、カワムラヒロシ
何処へ行くでもなくただ走りたいというのも、車に乗る人なら覚えのある話ではないでしょうか。
それも主人公のようにモヤモヤを抱えた状態なら尚更です。
気の向くままに走って、辿り着いた街、横切っていく街を横目に物思いにふけって。
悲しいことばかりじゃなくて、ドライブしながら嬉しい思い出に浸りたいときなんかもあるでしょう。
不思議なもので、ただ一人部屋でじっと考えているよりも、走りながらの方が気持ちの整理がついたりするんですよね。
そう思うと自動車は、本当に静かに話を聞いてくれる相棒のようですね。
自動車は自分しか知らない顔も知っていてくれる相棒
仕事に行く私
旅に出た私
恋をした私
嬉しそうな私
ふてくされた私
勇気を出した私
振り出しにもどった私
全部ここだけの話
全部君しか知らない
何も言わずに前に進むの 君は得意でしょ
出典: 相棒/作詞:NakamuraEmi 作曲:NakamuraEmi、カワムラヒロシ
恋人でもどんなに仲の良い親友でも、一人になったときの顔というのはまた違うもの。
相手を意識すれば人の態度というのはどうしても変わってしまうものなのではないでしょうか。
自分の全ての顔を知っているのは自分だけなんです。
自動車が生きているならば、その自分だけが知っている顔を唯一知ってくれている存在になります。
その相棒は、かっこ悪い部分も素敵な部分も全て受け入れて、何も言わずに進んでくれるのです。
私と君の毎日
私と君の毎日
明日も一緒にあの町へ
出典: 相棒/作詞:NakamuraEmi 作曲:NakamuraEmi、カワムラヒロシ
自動車は買い替えることはあっても、ケンカ別れすることはありませんね。
その役割を全うするまで二人の関係は続いていくんです。
これから作られていくであろう、自動車との思い出に胸を躍らせているような締めくくりとなっていますね。