あぁ だらだら過ぎていく

出典: わがまま/作詞:畑山悠月 作曲:畑山悠月

「だらだら」の前にある「あぁ」。

感嘆詞ともいいますが、心の様を描いています。

とくに「あぁ」というのは、発した側の感動する様を描く際に使われる感嘆詞です。

感動といっても、良い感情だけではありません。

とくにここで発せられているのは失望にも似た感情でしょう。

あぁ、何にもしていないのに。

そんな感情があらわれています。

何も行動していない、何も成長していない、何も変わっていない。

にもかかわらず、時間はだらだらと過ぎていく。

だらだらと表現されているように、ボクは何もしていないのです。

つまりのところの今は

前段のリリックにもあるように、ボクはお金が増えることを夢見ています。

しかし、それに関して具体的な行動はしていません。

いや、むしろ「だらだら」過ごしています。

それは、何か問題があって「だらだら」しているのか、それとも、意図的に「だらだら」しているのか。

どちらでもないでしょう。

何も無くて「だらだら」している。

わがままなボクは、人に色んな世話を受けています。

1人じゃ何もできない

でも、何となく「お金が増えたら」という夢はある。

それに関しての行動は何もしていない。

そんなボクの様が表現されているということです。

ただただ腹が減るのは何故

「ただただ」が意味するところ

あぁ ただただ腹が減る

出典: わがまま/作詞:畑山悠月 作曲:畑山悠月

「ただただ」といのは、ひたすらという意味合いで使われます。

ここでいうなら、何もしていないのに、いつでもひたすら腹が減っているということでしょう。

ただただ、何もせずに時間だけが経過している。

何も行動していないだけでなく、何も思いつかない。

無が続く環境の中を表現しています。

そして腹が減るというのは、何かしら結果が明確な行動をした後に生じるもの。

ただただ何にもしていない

お腹の空く行動は一切、なのに、何もしていないけれど腹が減っているのです。

人はなぜ「腹が減る」のか

人はどうして、お腹が減るのでしょう。

何もしていなくても、ずっと動いていても時間が経てばお腹が減ります。

このリリックでは、単にお腹が減っているという状態を表しているのではないかもしれません。

お腹といっているのは、ボクの心。

つまり減っているのは、お腹でもあるけれど、心でもあるということです。

有名なったら、いつもわがまましている君の言うことを何でも聞くよ。

お金が増えたら、毎日、焼き肉食べに行こう。

だから、ボクから離れていかないでね。

ボクは今は、何にもなくてだらだらの状態だけど、きっと「いつかは」と思っている。

でも、自分でも確たる保証も感じられず、不安感もある。

きっと日々、ボクのわがままに振り回されてる君は気づいているはずだ。

いなくなってしまうかもしれない。

そんな不安感から、心が減っていて寂しい気持ちを持っている。

それを「お腹が減る」という形で表現しているのかもしれません。 

不安な未来を明るく拭う

「いつか」はいつか?

いつか大人になってお金が増えたら
君のわがままになんでも付き合うよ
毎日ラーメン食べに行こうよ!
行こうよ!

出典: わがまま/作詞:畑山悠月 作曲:畑山悠月

「いつか」大人になってお金が増えたら。

そんな「いつか」は、一体いつなのでしょう。

その「いつか」が来ることはないものは、このリリックでも表現されているのです。

いつか、お金が増えたら、その時には好きなラーメンを毎日食べに行こうと誘っています。

しかも2度も繰り返して。

強調するかのように繰り返されるこの言葉は、不安を打ち消すかのようです。

ラーメンを食べに毎日行きたいのではありませんし、好きなものを毎日食べたいのでもありません。

ここでは、お金が増えたらと考えられる未来を表現しています。

明るい未来が来る、いや、絶対来るんだ。

だから、その時には絶対ラーメン毎日食べに行こう!

今、具体的にそれを裏打ちするものはないけれど。

そんな心模様が見え隠れしています。

KALMAらしい軽やかな未来を