厳しい現実
永遠の嘘は 本当のことで 本物の偽物だけが 勝ち取る世界です
でもその本物の偽物が 作り上げた永遠の嘘に
支えられてようやく ここに立ってます
出典: ダディ・ダーリン/作詞:茂木洋晃 作曲:茂木洋晃
最愛の子供達に冷たい未来が待っているとしても現在はどうでしょうか。
これから大人になりゆく子供達にも現実の厳しさを教えなくてはいけません。
この世界に真実などないことを皆知らなくてはいけないのでしょうか。
確かに絶対というものは存在しません。
日々流行も人の好みも変わって行きます。
生きているものはみな変化していきますから永遠なんてものはありません。
やはり「こんなはずじゃなかった」と泣いたり怒ったりすることばかりかもしれません。
自分でボーダーラインを引いて人と人との関係もけじめをつけなければならないのです。
自分の感情に嘘をついて他人を許し認め支えあっていかなくてはいけません。
その狡さが勝ち負けに関係するということでしょうか。
どの世界も実力や才能のある人が正当な評価を受けているわけではないです。
狡さに特化した努力が必要だということでしょうか?
ですがそんな虚しくて悲しい現実ばかりではないはずです。
あるがままに
言葉にならない 言葉になんてならない
でもあえて言葉にするならば そういうことなんです
草木は実り 花を咲かせて ただただダラダラと 花を咲かせて
出典: ダディ・ダーリン/作詞:茂木洋晃 作曲:茂木洋晃
そんな世の中だけれども違った見方もあります。
流れに身を任せ生きることは自然の摂理であり考え思い悩むことばかりではありません。
自然の営みを側で感じとれるだけで幸せな眺めではないかと言っているようです。
あるがままに存在できることがどんなに素晴らしいことか気付いて欲しいのでしょう。
本当はあたりまえのように生かされていること自体が宇宙の中のひとつの奇跡かも知れません。
虚構の世界
嗚呼 太陽が西の山を突き破って
ボコボコでも平らな一日を終える
ダディ・ダーリン ダディ ダディ・ダーリン
空っぽに色をつけて
出典: ダディ・ダーリン/作詞:茂木洋晃 作曲:茂木洋晃
毎日地球にはあたりまえのサイクルがやって来ます。
どんなに理不尽なことが世の中に溢れていようとも、いつものように日は暮れて行きます。
主題となるこのフレーズは愛し合っている者同士が呼び合っているようにも取れますね。
そしてこの虚構の世界をいつか理想の世界に塗り替えて欲しいのではないでしょうか。
平和の意味
平和を願うそんな気持ちは
平和を知らない人から生まれる感情であって
平和の中で暮らしてる私には
平和を願う気持ちがわからないんです しかし
出典: ダディ・ダーリン/作詞:茂木洋晃 作曲:茂木洋晃
「平和」という言葉が狭義として戦争の対義語を意味するのであれば納得できる内容ですね。
確かに過去の戦争体験を振り返れば今の時代は平和です。
個人の夢など持つこともできない時代もありました。
誰しも夢に向かって頑張れることができるとすれば平和であることの証拠かも知れません。
ですが人々が本当に戦争に興味が無くならないと戦争も終わらないと言われています。
実は「願わない」で済むことは重要なことなのです。
平和を願う人が誰ひとりいなくなった時が本当の平和が訪れる時ですね。
このメッセージはとても重いものです。
決して能天気なことを言っているわけではありません。
戦争が無くても人間は戦争の疑似体験を楽しもうとします。
それは人間の宿命のようなものでそこから逃げることは難しいのかもしれません。
平和に気づかないほど毎日は平和で
平和を何と無く繋いだつもりで
いつかその平和とやらを誰かが破くのでしょうか?
出典: ダディ・ダーリン/作詞:茂木洋晃 作曲:茂木洋晃
あたりまえの自然のサイクルも戦争に脅かされない毎日も続くことに慣れてしまってはいますね。
そして無秩序や暴走は無意識によって未来を壊してしまうことになるかも知れません。
ですが私達が今、平和の中にいるかどうかという感覚も人によって違います。
そして怖いのは武器を持った人間同士の戦いだけではありません。
自然からの復讐ともいえるウイルスや温暖化などとの戦いもありますね。
MVに出てくる人工太陽やガスマスクはそのような意味でしょう。
この恐怖感は今の時代誰しも感じ理解していることだと思います。
まとめ~意外なテーマ
この楽曲には未来からのメッセージという意外なテーマが綴られていました。
「ダディー」というのは自分のことであり子供の未来の姿でもあると考えられます。
そして「ダディー」である自分はもうこの世にはいないという設定でしょう。
親というものは自分が死んだ後もこの世に残していく子供のことが気がかりです。
子供の輝かしい未来や幸せや健康を祈るものではないでしょうか。
ですがどんなに気がかりでも永遠に見守ることはできません。
せめてもの願いは真っ白なキャンバスに子供達の知恵だけで未来の絵に色を塗って欲しいということです。
そしてその絵は虚飾されたものではなく本物であって欲しいと願っているはずです。