「人生山あり谷あり」という言葉があります。生きていれば良いことも嫌なこともあるよ、という意味です。

しかし生きづらさを感じている人々の目の前には、谷ばかりが見えて、山がありません。

もしくは、やっと登り始めた山があっという間に谷になってしまうことを繰り返しているかもしれません。

今、日々を生きている自分には希望も何もない。ただただ時間が過ぎ去るのを待つだけだ。

そういった人々は「生きている」という言葉が「何もせず死に向かっている」のと同義になります。

だから、恐ろしいのでしょう。

プラスかマイナス、陽か陰、光か影。普通は二択なのに、彼らに許されているのは常に後者のみ。

偏った考え方に支配されています。

これから訪れる明日も、今日と同じような生きづらい一日なのだろうと思いこんでしまいます。

「あなた」は逃げなかった

辛さを断ち切ればラクになれる。

そんな幻想にとりつかれた人と、辛さを抱えながらも生きていく人。

対照的な人物が描かれています。

始発電車の二人

始発電車に乗ったあの子の憂鬱は 
青に染め上げた親友が笑っていた

出典: 命の唄/作詞:不明 作曲:不明

「あの子」が始発電車に乗ったのはなぜでしょうか。

始発電車の乗客は少ないですから、例えばクラスメイトや同僚に遭遇する可能性はとても低いです。

誰にも会いたくないから、始発電車を選んだのではないでしょうか。

しかし親友はそんな「あの子」を見て笑っているのです。

青に染まった親友は、おそらくもうこの世に存在していません。

親友は生きづらさから解放されたため、余裕の笑みです。

始発電車で酔ったあいつがうつむく
今日で終わりにするんだって 膝をおっちゃって

出典: 命の唄/作詞:不明 作曲:不明

今度は「あいつ」が始発電車に乗っています。

電車に酔ったのか、それともこれから先のことを考えて体調が悪くなったのか。

後者だと考えました。

吐き気で下を向き、小さくなります。自分の心の中に向かって言いました。

「今日で終わりにする」と。

なかなか決断できずにいた「あいつ」は、何かを決意したようです。

うつむいた顔の正体とは

逃げ込んだ暗がりは 何の光もささぬまま
わかっていた感情は 三日もたてば消えていく

出典: 命の唄/作詞:不明 作曲:不明

生きづらい人間にとって、人生を楽しんでいる人々は輝いて見えます。

眩しすぎるぐらいです。

だから暗がりに逃げ込んで安心感を得ようとします。

自分を助けてくれる一筋の光がさしてくるかもしれない、と少し期待してみたりもします。

しかし光は降りてこず、「あり得ない」と思っていたことは「あり得ない」まま。

再び「山なし谷だらけ」の人生に戻っていきます。

笑っていた坊主頭 最低な日々と小銭と
わかっていた お前は笑っていたんだ

出典: 命の唄/作詞:不明 作曲:不明

ここで登場する「お前」は始発電車に乗っていた「あいつ」でしょうか。

本当に坊主頭なのかもしれませんが、意味があって「坊主頭」と表現したのかもしれません。

坊主頭は「強制」のイメージがあります。校則のように、皆と同じ髪型でなければ許さない!といった感じです。

この人物は、どうにか周囲に溶け込もうとして「右へ倣え」も辞さずに生きてきたのでしょう。

でも彼はうつむき、今日で終わりにすると決意した。その時彼は、笑っていたようです。

希望が持てない毎日と、金銭的な不安。

それが終わりにできると思うと嬉しくて、自然と笑ってしまったのかもしれません。

逃げないあなたを信じたい

「生きていく」ただそれだけの言葉、
恐ろしく思えてしまうあなたが
日々を濡らし 劣等感を抱いて眠った 
あなたのことを信じてる。

出典: 命の唄/作詞:不明 作曲:不明

生きることに希望を見出だせない「生きづらさ」を抱える人々。

そのひとりが「あなた」です。

親友のように、坊主頭の「あいつ」のように、全て終わらせてしまえばラクになるのかもしれません。

人生の苦しみは最小限にして、笑って終えられるのですから。

でも「あなた」は逃げません。辛くて涙を流しながらも歯を食いしばっています。

そんな「あなた」は信じるに値する存在だと歌っています。

何よりも守りたいのは「命」