答えのない問いと向きあう
生きるとは何か。正しさとは何か。
そんな答えのない問いと正面から向きあっているのが、福山雅治の『群青 ~ultramarine~』です。
自由を求めれば争いが起き、正義を貫こうとすれば誰かが犠牲になる。
世界中のすべての人が幸せになれる未来なんて、存在しないのかもしれません。
それでも人は人を愛し続けます。
奪い奪われながら、今日を生きていく。
そして許し許されながら、明日へと命を繋いでいきます。
すべてのことに意味はあるはず。
そう信じることが、きっと未来に希望をもたらしてくれるでしょう。
感動で震える...

アコースティックギターと歌声のみで奏でられる『群青 ~ultramarine~』。
シンプルだからこそ、歌詞がストレートに心に響きます。
静けさのなかにある、震えるほどの感動。
あまりの素晴らしさに、呼吸すら忘れてしまいそうです。
胸を打たれるとは、まさにこのライブのことをいうのでしょう。
曲が持っている雰囲気は穏やかなのに、聴いているとなんだか胸が張り裂けそうになりますね。
体の奥深くから湧き上がってくる大きな感情は、とても言葉では表現できそうにありません。
そして、曲が終わった後の余韻もまたすごい。
聴き終わった後はきっと感動のあまり、しばらく放心してしまうことでしょう。
正しさについて考え続ける
悲しい出来事の多いこの世界で、いったい何を信じて生きていけばいいのか。
この曲の「僕」もそれについて悩み、答えを見つけようとしています。
人の生き方に正解はない。
だからこそ、私たちは正しさについて考え続けなければならないのでしょうね。
強き人とは?
愛すべきものを守るために
ひとり旅立つ強き人がいる
何をゴールに 何を支えに走る
弱き僕は ただその背中見ている
出典: 群青 ~ultramarine~/作詞:福山雅治 作曲:福山雅治
傍にいるだけでは愛する人を守れない。
そう考えて愛する人から離れていくことを、「僕」は強さだと考えています。
この強さを持っている人というのは、具体的にどういう人のことを指しているのでしょうか?
自ら戦地に赴いて戦う人。毎日会社に出勤して働く人。
何の共通点もないように思えますが、彼らは愛する人を守るために、その行動を選択しているのかもしれません。
だとすればこの両者はどちらも、歌詞にあるような「強き人」と表現することができるでしょう。
「僕」はそんな人たちの背中を見て、自分の弱さを痛感しているようです。
疑問を持っても声をあげられない
つながった手と手を引き裂いてく
自由の名のもと 響く銃声が
何を正義に その生命奪うのか
力なき僕は ただその最期を見ている
出典: 群青 ~ultramarine~/作詞:福山雅治 作曲:福山雅治
自由を求めるのは人として当然の権利です。
しかし自由を得るためなら、他人を犠牲にしても許されるのでしょうか?
より良い世界を求めるあまり、一番大切な人の手を離してしまった。
そうして手に入れた自由は、きっと不自由だった時よりも不幸でしょう。
それと同じように正義を盾にした暴力は、正しさの意味を履き違えていると非難されても仕方ありません。
正義とは平和のうえに成り立つものではないのでしょうか?
また善悪とは、多数決で決められるほど簡単なものなのか…。
そう疑問を抱いても、世間に向けて声をあげることはできない。
「僕」はそんな自分を情けないと感じているのかもしれません。
愛したい、愛されたい
それでも あなたを それでも 愛したい
この願いは許されるの
それでも あなたに それでも 愛されたい
この祈りは救われるの
出典: 群青 ~ultramarine~/作詞:福山雅治 作曲:福山雅治
正義や自由を求める心が人を傷付ける。
そんな世界でも「僕」はあなたを愛したい、あなたに愛されたいと願います。
何が正しくて、何が間違っているのか。
善悪の基準すら曖昧な世界で唯一、愛だけが信じられるものなのかもしれません。
あなたへの愛だけはどんなことがあっても変わらない。
弱気な性格の「僕」でも、その言葉だけは自信を持って言うことができます。
被害者と加害者が絶えない世界。
悲惨に見えたとしても、きっとどこかに愛を見つけられるはずです。