アルバム「浮世巡り」に収録
『ケガレの唄』は「浮世巡り」のラストを飾るナンバー
2015年に動画共有サイトから音楽活動をはじめた羽生まゐご。
ちなみに「ゐ」は「い」の旧字体です。
彼が満を持して発表するアルバム「浮世巡り」。
今回紹介する『ケガレの唄』は、このアルバムのラストを飾るナンバーです。
アルバムの詳細は、彼の公式サイトから確認できます。
羽生まゐご1st フルアルバム『浮世巡り』 全14曲入り 2018.10.3 (水) RELEASE
「浮世」を巡るのは羽生まゐご自身なのか?
視点が面白い
アルバムタイトルにある「浮世」とは、いったい何を指すのでしょうか?
一般的に「浮世」とは、「はかなくて辛い世の中」を意味します。
私たち全員が暮らしているこの世の中、という意味ですね。
では、作者である羽生まゐごは、どういう思いでこのタイトルを付けたのでしょうか?
よく考えると「浮世」=「私たち全員が存在している世の中」になる訳ですから、続く「巡り」というのは矛盾しています。
おそらく彼は「浮世」を、私たちが考えている視点ではない、違った視点で描きたかったのだと思います。
彼自身が「世間一般の人間」ではなく、その「下位」あるいは「上位」に位置するものになりきる。
一般的に「下位」に位置するのは「動植物」。
「上位」に位置するのはさまざまな「偶像」や「信仰の対象」。
彼がどちらの視点でこのアルバムを作ったのかは、彼のみぞ知るです。
「世間一般の人間の思考や考え」を別の視点から俯瞰(ふかん)する。
そういったコンセプトのもと作られたのがこの「浮世巡り」です。
『ケガレの唄』の「ケガレ」とは?
「ケガレ」は民俗学の用語
今回紹介する『ケガレの唄』。
タイトルにある「ケガレ」は「汚れ」ではなく「ケガレ」です。
カタカナ表記にはちゃんと意味があります。
穢れ(けがれ)とは、忌まわしく思われる不浄な状態。死・疫病・月経などによって生じ、共同体に異常をもたらすと信じられ避けられる。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/穢れ
昔、日本は「共同体(コミュニティ)」が数多く存在していました。
そして正常に機能していました。
現在も「共同体」の概念はありますが、昔と比べてその意味合いは違っています。
昔の「共同体」は、今以上に各々の生活に必要不可欠な存在だったのです。
例えば「共同体」の一つである「村」を例に挙げてみましょう。
コンピュータもスマートフォンもなかった時代。
「村」で暮らす人々は、成員の一人一人が責任を持って生活していました。
「責任」はやがて「戒律」となり、そして「法律」となります。
しかし、「村」を構成する人口が少ない場合、書面にはせず、口頭でそれを構成することもありました。
言ったりやったりしてはいけないもの(禁忌)。
「法」を守らなかった村人を追い出す「村八分」。
禁忌を犯した人物や社会に適していない人物を排除する。
それは、いくら小さな村であっても、大々的にできません。
「村」には小さいながらも政治的組織があったのでしょう。
その組織に存在する人物が、「村」の「長」である村長から命令を受けて、アウトサイダーを処理していた。
それを公的にするのではなく、内々にする。
そういった暗黙の了解があって、「村」は成り立っていたのです。
「ケガレ」は上記に引用したように、「忌まわしい存在」のこと。
「忌まわしい存在」といってもいろいろあります。
現在でいう精神障害者や、身体に先天性疾患がある子どもなども、その対象でした。
一般的に「ケガレ」は、「共同体」に存在することが許されていませんでした。
そして、排除されないでも「ケガレ」を持つ者は、文字通り忌み嫌われていました。