上沼恵美子が誕生する前
もともとは姉妹漫才コンビでした
近畿圏に住む50歳以上の人にとって、タレント"上沼恵美子"を「海原千里」と呼んでしまうことは"あるある"でしょう。
1975年前後の漫才コンビ「海原千里・万里」の西日本での人気は、すさまじいものでした。
当時は、ツービートやB&B、紳助・竜介などが火付け役となった「漫才ブーム」がまだ始まる前。
「海原千里・万里」は、本名を橋本百々子・恵美子という姉妹コンビの芸名です。
爆発的な人気を得て、タレント本や写真集が企画され、このレコードも作られました。
「大阪ラプソディー」は、千里・万里の代表曲であると同時に、この時代の薫りを色濃く残す名曲です。
「ご当地ソング」という音楽ジャンル
昭和という時代、日本の音楽ジャンルは「歌謡曲」と「ポップス」に二分されていました。
演歌もフォークソングも「歌謡曲」、ジャズもロックもカントリーも「ポップス」。
歌詞が日本語であれば歌謡曲です。
和訳されたカントリーの名曲『テネシーワルツ』は歌謡曲に分類されています。
歌謡曲は、数がかなり限定された作詞家・作曲家によって創作されていました。
平成以後、音楽産業の基本は"アーティストの自発的な感性"が主流になりました。
企画されたコンセプトに従って、作詞家・作曲家が音楽を作るケースは随分減ったようです。
歌謡曲の中に、「ご当地ソング」というジャンルがありました。
古くは『霧の摩周湖』『柳ヶ瀬ブルース』など、観光振興が意図された楽曲が作られました。
『大阪ラプソディー』もその流れを汲んだ作品といえるでしょう。
観光名所が少ない街="大阪"
大阪でどこを見るか?
あの人もこの人も そぞろ歩く宵の街
どこへ行く二人づれ 御堂筋は恋の道
映画を見ましょうか それともこのまま
道頓堀まで 歩きましょうか
七色のネオンさえ 甘い夢を唄ってる
宵闇の大阪は 二人づれ恋の街
昨日よりまた今日は 別れ辛くなりそうよ
戎橋法善寺 どこも好きよ二人なら
嬉しいはずでも あなたといる時
なぜだかこの胸 痛んでくるの
店灯り懐かしく 甘い夜を呼んでいる
宵闇の大阪は 二人づれ恋の街
出典: 大阪ラプソディー/作詞:山上路夫 作曲:猪俣公章
大阪の繁華街は大きく"キタ"と"ミナミ"のふたつが有名です。
この二箇所をつなぐ南北の目抜き通りが御堂筋。
歌詞の冒頭部分は、御堂筋を"キタ"からそぞろ歩く様子を表しています。
映画館が集まっている堂山付近を通り過ぎて、道頓堀まで2kmほどを歩くのでしょうか。
この歌が発表された30年ほど前は、確かにネオンがまぶしい繁華街でした。
ご当地ソングのキモは「観光振興」にあります。
『霧の摩周湖』のヒット直後、北海道への旅行客が爆発的に増えました。
唄った歌手の布施明は北海道観光大使に任命され、北海道庁や千歳空港でイベントが企画されました。
では、大阪はどこを歌詞に盛り込めば良いのでしょう?
大阪人に聞けば良くわかります。
「見るところがあらへんな〜」
企画を持ち込まれた作詞家の山上路夫は、ビクターレコードの担当者に、こともなげに言いました。
「どこでもいいんだよ。名所じゃなくても」
山上路夫は日本が元気いっぱいだった昭和の高度成長期から、平成の今も活躍する敏腕作詞家です。
彼が"料理した"大阪の町を見てみましょう。
ネオンが"甘い夢"に見える
大阪に関係して出てくる歌詞は、御堂筋と道頓堀と戎橋と法善寺だけ。
どれも地名だけで、風景や周辺の様子は描かれていません。
山上路夫の歌詞には特徴があります。
「心象風景が中心」
ガロの『学生街の喫茶店』や赤い鳥の『翼を下さい』など、名曲と呼ばれる山上作品と同じ。
君とよく この店に来たものさ
わけもなくお茶を飲み 話したよ
出典: 学生街の喫茶店/作詞:山上路夫 作曲:すぎやまこういち
喫茶店の風景はわずかで、そこにいる主人公の心模様が中心です。
この大空に翼を広げ 飛んでゆきたいよ
悲しみのない自由な空に 翼はためかせ
ゆきたい
出典: 翼をください/作詞:山上路夫 作曲:村井邦彦
いずれも主人公の内面を表したもので、ストーリーや物理的表象ではありません。
ご当地ソングを創作するに必要なのは、山上にとっては地名だけで良かったわけです。
作品の幹は「そこを歩く主人公の心の動き」になっています。
"御堂筋"と表札さえ下げておけば、後の歌詞は恋人たちのこころ模様に費やせます。
歌詞に出てくるような七色のネオンは、今はデジタルサイネージに押されて少なくなりました。
ネオンサインはこの時代ぐらいまで、盛り場の象徴としてマイナスイメージで使われたものです。
でも、歌詞では"甘い夢"と恋人たちの無邪気さを表しています。
御堂筋でネオンが見られるのは心斎橋から道頓堀・なんば界隈に限られます。
そぞろ歩く二人には、繁華街などどうでも良かったのでしょう。
地名を織り込み、聴衆が引き込まれる設定を心象風景の言葉で描く。
プロの作詞家とは、こういう業務処理をサラリとこなせる人物を指すのでしょう。