吉幾三の家庭は特に貧しかった

1968年の青森県金木町は確かに田舎であったことは確かでした。

しかし、それにしても多少誇張して表現されている部分がありそうに思えます。

ただ歌詞の内容が事実かどうかの検討は難しいです。

ただ忘れてはいけないのが、彼の家庭は地元の中でも貧乏のほうだったようです。

当時、テレビやラジオは既に家庭に普及していました。

ですが、彼の家に無かったとしても不思議ではありません。

村全体の事を歌っているのか吉幾三の家庭のみの状況なのか判断が難しいです。

東京で牛?

【吉幾三/俺ら東京さ行ぐだ】面白いラップ歌詞を紹介!田舎が嫌で東京に出てきた吉幾三の実話だった?!の画像

散々地元をディスり、上京を決意する吉幾三。

しかし最後の歌詞がコミカルですね。

お金を貯めて東京で牛を飼う

吉幾三本人も田舎の風習から離れなれないでいます。

ちょっと切なさも感じてしまいます。

1950年代なら秋葉原で牛を引いている人の写真は残っているので惜しい感じはしますね。

全体を見ると、地元の現状に嘆く→上京を決意→的外れな東京ライフを夢見る流れになっています。

ギターも無ェ ステレオ無ェ
生まれてこのかた 見だごとァ無ェ
喫茶も無ェ 集いも無ェ
まったぐ若者ァ 俺一人
婆さんと 爺さんと 数珠を握って空拝む
薬屋無ェ 映画も無ェ たまに来るのは 紙芝居
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コァ貯めで 東京で馬車引ぐだ

出典: 俺ら東京さ行ぐだ/作詞:吉幾三 作曲:吉幾三

後に音楽家になる吉幾三にはつらい状況かも

ギターもステレオも無い。

音楽家になりたくて上京する事を考えると、少し重みを感じる歌詞です。

実は吉幾三の父親は民謡歌手でした。

ステレオは当時高級家電でしたので、無いの想像できますが、ギターはあったと思います。

エレキギターはさすがになかったかもしれませんが・・・。

しかし生まれてから見たことないのはさすがに嘘くさいですね。

人気質でもある吉幾三ならではの、ちょっとオーバーな表現と言えます。

現実と誇張が入り混じっているのがこの曲の面白いところでもあります。

娯楽が少ない

やっぱ若者にとって娯楽がないのはつらいです。

吉幾三は1952年生まれ

1968年というと彼は16歳です。

外の世界に憧れを抱き、刺激を求める年ごろ。

そんな多感な時期なのに、テレビも映画館もないのは相当ストレスでしょう。

さすがに紙芝居で満足はできないです。

吉幾三ならずとも、すぐにでも東京に行きたいとおもうでしょう。

ただ若者が自分しかいないのはちょっと嘘くさいですが・・・。

ディスコも無ェ のぞきも無ェ
レーザー・ディスクは何者だ?
カラオケは あるけれど かける機械を見だごとァ無ェ
新聞無ェ 雑誌も無ェ たまに来るのは回覧板
信号無ェ ある訳無ェ 俺らの村には電気が無ぇ
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コァ貯めで 銀座に山買うだ

俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コァ貯めで 東京でベコ(牛)飼うだ

出典: 俺ら東京さ行ぐだ/作詞:吉幾三 作曲:吉幾三

ディスクとディスコがかかっている!

【吉幾三/俺ら東京さ行ぐだ】面白いラップ歌詞を紹介!田舎が嫌で東京に出てきた吉幾三の実話だった?!の画像

相変わらず「~も無ェ」で韻を踏んでいます。

ただもちろん、それだけでは初の日本語ラップにはならないでしょう。

よく見れば、レーザー・ディスクディスコで上手く韻を踏んでいます。

確かにラップに慣れ親しんだ今の耳で聞けば凡庸かもしれません。

しかしここから日本語ラップの歴史がスタートしたと考えると感慨深いです。

かける機械って?

ちょっと今の常識だと飲み込みにくい箇所がありました。

それはカラオケはあるけどかける機械がないという箇所です。

今のような、通信カラオケが浸透しているので、「どういう事?」ってなりそうです。

説明すると昔はカラオケ用のテープが存在していました。

歌のない状態の曲が入ったテープを機械に差し込んで、マイクで歌ってた時代があったのです。

つまりテープはあるけど、ハードであるかける機械が無いということ。

ある世代の方々には懐かしい話かもしれませんが、若い人には想像できないことでしょう。

一応解説させて頂きました。

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