プラトニックを気取りながら
記憶に残したいイメージ
君に胸キュン 夏の印画紙
太陽だけ焼きつけて
君に胸キュン ぼくはと言えば
柄にもなく プラトニック
出典: 君に、胸キュン。/作詞:松本隆 作曲:細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏
「カメラ=デジタルカメラ」という現在にあっては、「印画紙」というのはフィルム以上にわかりにくいアイテムです。
かつては、カメラにフィルムを入れて撮影し、フィルムを現像、フィルムから印画紙に感光させるというプロセスでした。
この中間メディアのフィルムのプロセスを省略したのがインスタントカメラです。
「ポラロイド」というメーカー名や、「チェキ」という商品名の方が馴染みかもしれません。
「太陽だけ焼き付けた印画紙」というのは、真っ直ぐにカメラを向ける勇気が無かったのか失敗したものか、微妙です。
その微妙な境界を「柄にもなくプラトニック」という言葉でくくるあたりが巧妙なところです。
狩りに失敗した猫の、もともと関心は無かったとでもいうような素振りにも似ているかもしれませんね。
カメラ・アイがフォーカスする表情
心の距離を計る 罪つくりな潮風
眼を伏せた一瞬の せつなさがいい
出典: 君に、胸キュン。/作詞:松本隆 作曲:細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏
直前のフレーズの「印画紙」という言葉で想起される「カメラ」、「撮影」という語を受けるパラグラフです。
オートフォーカスが当たり前の時代には「距離計」などという言葉も連想しにくい機構です。
レンジファインダーのカメラでは、二重の像を一つに合わせる距離計にレンズが連動して、焦点が合います。
もちろんこの歌詞自体はそのような仕組みを比喩、説明するものではありません。
ただ、撮影する上で変化しやすい条件、障害の一つが「風」であり、撮影の目的は「一瞬」を切り取ることです。
そう考えると、やはりカメラ・アイやファインダーを通した視点で解釈するのが自然ではないでしょうか。
イタリア語の歌詞の意味は結構大胆
蜜のように甘い誘惑の言葉
CIAO BELLO' UNA NOTTE CON ME CHE NE DICI?
MI PIACI TANTO
VORREI VEDERE COSA SAI FARE AL LETTO.
DAI VIENI A DIVERTIRTI CON ME.
出典: 君に、胸キュン。/作詞:松本隆 作曲:細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏
響きが心地よくて何となく聞き流していましたが、訳してみると結構、きわどい台詞です。
ねえ、君、今晩、私と一緒っていうのはどう?
私は君のこと大好き!
ベッドで君がどんな風なのか見てみたいな。
一緒に楽しみましょうよ。
ファインダーの中でさまざまなポーズをとり、目まぐるしく表情を変えるモデル。
少しエコーがかけられたイタリア語。
大胆な誘惑の言葉はもちろん現実のものではありません。
魅せられたぼくの脳内が生み出している幻想です。
わかりやすくするための一工夫
君に胸キュン 愛してるって
簡単には言えないよ
伊太利亜の映画でも見てるようだね
出典: 君に、胸キュン。/作詞:松本隆 作曲:細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏
簡単には言えない>不器用さとストイシズムの両方が入り混じった感情表現です。
この言葉も、ある意味「狩りに失敗した猫」的な言い訳のような言葉です。
イタリア語の台詞と映像の連想を、「伊太利亜の映画」という言葉で、イメージを定着させています。
YMOの他の楽曲でも使われている外国語の挿入手法の唐突感がここでは上手く払拭されています。
歌謡曲として受け入れられるための一工夫だったのかもしれません。