映画「そよかぜ」
この「リンゴの唄」は、戦後初めて制作された映画「そよかぜ」の劇中歌でした。
「そよかぜ」は劇場の照明係である少女が、歌手を目指して成長していくストーリー。
バンドメンバーたちに励まされながら夢に向かって進んでいきます。
映画の中では、主人公の少女を並木さんが演じており、少女の故郷の両親がリンゴ園を営んでいます。
自分の進路に迷った主人公が里に帰り、故郷のリンゴ園の中で歌うのが「リンゴの唄」です。
ほのぼのとした明るい様子が印象的な映画です。
明るい表現が並ぶ2番目の歌詞
映画「そよかぜ」の劇中歌であったということを思い出しながら、2番目の歌詞を見ていきます。
あの娘よい子だ 気立てのよい娘
リンゴによく似た かわいい娘
どなたが言ったか うれしいうわさ
かるいクシャミも とんで出る
リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ
出典: リンゴの唄/作詞:サトウハチロー 作曲:万城目正
軽快でポジティブなフレーズが並びます。
恋心を抱く爽やかな青年がイメージできるのではないでしょうか。
リンゴのように赤くほおを高揚させた、かわいい恋人。
くしゃみが出るたび、「もしかして彼女が僕の噂をしているのかも」と心浮かれます。
もちろん、心を浮かれるなんていうこととはほど遠い絶望的な時代です。
多くの人は、きっと、現実的に恋どころではなかったでしょう。
けれども、過酷な状況でも人は誰かを愛して生きます。
愛する誰かがいるからこそ、暗い時代の中で生きる希望を持ち続けられた、といえるかもしれません。
現実とはかけ離れていても、映画同様、この歌詞を聴くことで生きる励みにしてほしい。
そんな願いが込められていたように思えてなりません。
明るい曲と裏腹に
誰もが明るいイメージを抱いたわけではない
「リンゴの唄」が流行した当時は誰もがお腹を空かせていました。
そもそもリンゴといえば緑色や、くすんだオレンジのような色合いで、「赤いリンゴ」は手に入らなかったのです。
人々はこの「リンゴの唄」を聴きながら、希望とともに深い空腹を抱きました。
あるラジオ番組の公開収録で、並木さんがステージを降りてリンゴを配るというパフォーマンスを行いました。
会場にいた人たちは、歌を聴くことも忘れ、リンゴをもらおうと殺到したというエピソードがあります。
現実の人々の生活はとてもシリアスで過酷でした。
空腹をより際立たせるこの曲を「残酷だ」と思った人も、少なからずいたでしょう。
引き揚げ船で曲を聴いた兵士が「自分は置いていきぼりにされている」と涙を流したという話もあります。
並木さん自身の葛藤
歌い手である並木さんも、この曲を歌う上で心の葛藤と闘っていました。
並木さん自身も、戦争で父親と兄を亡くしています。
さらに東京大空襲でともに逃げていた母親が、目の前で川に流され、行方不明になったのち亡くなっています。
自分だけが助かり、母親を助けられなかった。
誰も並木さんを責めることはありませんが、自身の中でその思いは傷となり重くのしかかってきました。
たとえ戦争が終わっても、亡くなった家族が戻ってくることはありません。
明るく歌うなんてできない。
そう、迷いながら収録をしていたといいます。
しかし作詞家サトウハチローに背中を押され、日本の人々を励ますことを思い、必死に明るく歌ったそうです。
そしてできあがったのが、私たちが知っている明るい「リンゴの唄」なのです。
リンゴにささやく言葉
3番目の歌詞を見ていきます。
恋人たちのリンゴ
朝のあいさつ 夕べの別れ
いとしいリンゴに ささやけば
言葉は出さずに 小くびをまげて
あすもまたネと 夢見顔
リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ
出典: リンゴの唄/作詞:サトウハチロー 作曲:万城目正
2番目の明るい印象とは少し異なり、別れというフレーズが登場します。
3番目の歌詞からは、2通りの意味を取ることができます。
一つ目に浮かぶのは、朝から夕方までを共に過ごした、若き恋人たちの姿です。
「リンゴ」を愛する人だとすれば、ささやいたのは愛の言葉でしょう。
けれども、堂々と愛を語ることは憚れる時代です。
恋人は何も答えず、ただ小首をまげて「また明日会いましょう」と約束をするのです。