男女が交わることは神の世界では禁止されていました。
だからこそアダムたちにとってリンゴは禁断の果実だったのです。
しかし旧約聖書の「創世記」によると、ある蛇に誘惑され2人はその果実を食べてしまう。
ですから「禁じられた遊び」とは男女の交わりのことです。
そして人間の欲望を刺激するのもまた、男女の秘め事。
はじめからこの欲望をもつ私たちは、どうして神がこのことを禁止していたかをよく知っています。
我慢する必要はない
もう我慢することはないのだ
踊れ 騒げ 心のままに 悪魔の果実で
出典: アダムの林檎/作詞:デーモン小暮 作曲:ジェイル大橋
禁止されているから、人はそれを渇望します。
“禁断の果実”と言われてるからこそ、余計に食べてみたくなるのです。
1度それを犯してしまえば2度と元には戻れないとわかっていながらも…。
目の前にある欲望の対称を我慢できるかどうかが、人間の未来を決定します。
よほどの修行を経た人間でなければ、目先の欲には勝てないでしょう。
あるいは大きな宿命や目標をもっている人なら打ち勝てるでしょうか。
いずれにしても、ここでは悪魔たちは「我慢しなくていい」とそそのかしてきます。
己の欲望のままに行動せよ、ということが悪魔教の教えなのだろうと思います。
今こそ試せ!
How about some sweet and sour Apples?
Delicious and dengerous Woo...
Try it now!
出典: アダムの林檎/作詞:デーモン小暮 作曲:ジェイル大橋
訳は、「甘酸っぱいリンゴはどうだ?おいしくて危険だろう?」となるでしょうか。
さらに、「それを今試してみろ!」と言っていますね。
悪魔の果実の憎いところはそれがあまりにも美味しいということでしょう。
我慢しようとしている人間の心をへし折ってくるその甘さ。
1口かじってしまえば、誰でもその味の虜になってしまうのです。
悪魔にそそのかされ、1口かじってしまったが運の尽き…。
その快楽の味を知ってしまって元に戻れる人間はいません。
その上、それが亡者なのだとしたらどこに戻れるという理屈があるでしょうか。
世界の終わりまで
無際限な欲望
ひとくち食べれば もう夢の中
ふたくち食べれば 身体が動きだす
さあ もっともっともっと
出典: アダムの林檎/作詞:デーモン小暮 作曲:ジェイル大橋
ひとくち試してみると、もうリンゴを食べる手が止まりません。
その甘美な欲望を満たすことによる圧倒的な快楽の前に、人は為す術がないのです。
そしてその欲望は満たされることがありません。
ひとつ食べ終わると、つぎのリンゴが欲しくなる。
それが終わると、またつぎへ…。
このように終わりというものがないのです。
これが欲望、あるいは肉欲の怖さでしょう。
そのことを知っていたから、神は人にこの存在を隠していたわけです。
しかし今、聖飢魔Ⅱという悪魔たちによってこの秘匿は破られました。
亡者たちによる宴は、世界の終わりまで続くのでしょうか。
煩悩
喰えよ 煩悩に世が染まるまで
鳥肌の立つほどにしびれる
狂おしき誘惑のままに 悪魔の果実で
出典: アダムの林檎/作詞:デーモン小暮 作曲:ジェイル大橋
「煩悩」とは、仏教用語で“人の心をかき乱すもの”の意味です。
この曲で再三歌われてきた肉欲はその最たるものでしょう。
貴(たか)くあろうとする人を何度も何度も底へ突き落すものだからです。
美しくあろうとする人々の心を何度でもへし折ってくる強敵。
しかしその欲望をかき立てるものは美しさだったりもするわけなのですが…。
それであっても人は基本的には日々、己の煩悩と戦い続けています。
負けてしまうことは多々あったとしても、戦おうとする姿勢だけは失ってはいけません。
だからこそ、1日の終わりには解放されリラックスして眠りにつくことができる…。
1日のスタートから煩悩に負けていてはいけないのです。
だけれどここで歌われているのはまったく正反対の世界。
あらゆる煩悩によって世界が満たされるまで、その快楽に溺れろというのです。
本当に悪魔のささやきのようです。
どうしてもダメなときは、自堕落な日を送るのも長い人生のなかにおいてはいいのかもしれませんね。