藤圭子の衝撃的なデビュー
藤圭子という稀代の歌い手が登場した1969年、時代は高度成長期でした。
一方で70年安保闘争やベトナム反戦運動、大学紛争の季節です。
そこには勝利よりも挫折の方が多くあったのでしょう。
藤圭子の声に潜む宿命的な暗さに老若男女問わず人々は取り憑かれたように魅了されました。
演歌を超える「怨歌」
藤圭子が歌う演歌は作家・五木寛之によって「怨歌」と表現されています。
この「怨歌」という言葉は当時、時代の寵児だったフォーク歌手・三上寛なども自身の作品に使用していました。
実際に三上寛による「夢は夜ひらく」もまた「怨歌」の名曲として知られています。
藤圭子が演歌というジャンルを超えて広く愛された理由のひとつ。
それは人々の暗い記憶に訴えかける「怨歌」の魅力なのです。
作詞家・石坂まさをの半生
また藤圭子をデビュー時から支えた作詞家・石坂まさをの人生もまた苦難の日々でした。
今でいうシングルマザーの手によって育てられた病弱な少年・青年期を経て成長していく石坂まさを。
28歳で作詞家兼プロデューサーとして新人・藤圭子を指導します。
若い才能ではありますが人生をシビアに捉える視線が彼の持ち味でした。
いまこそ読み解きたい「圭子の夢は夜ひらく」
ではいよいよ実際に石坂まさをが作詞した「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞を紐解いていきましょう。
赤く咲くのは けしの花
白く咲くのは 百合の花
どう咲きゃいいのさ この私
夢は夜ひらく
出典: 圭子の夢は夜ひらく/作詞:石坂まさを 作曲:曽根幸明
有名な歌い出しです。
聴く者のこころを一瞬にして鷲掴みにする魅力があります。
捨て鉢な印象の歌詞
どこか捨て鉢な歌詞と藤圭子のドスの利いた声が聴く者に不穏な印象を与えるのです。
女性としての輝きをこの先どのようにして開花させていけばいいのか分からない。
そんな想いを託したラインです。
それでも夢の中でなら輝けるのかもしれないと藤圭子は歌います。
夢は夜ひらく
出典: 圭子の夢は夜ひらく/作詞:石坂まさを 作曲:曽根幸明
鮮烈な色彩の夢の世界が広がります。