松浦亜弥の経歴
14歳で芸能界デビュー
幼い頃から歌うことが好きで、歌手に対する憧れを抱いていた松浦亜弥さん。
ある時、友達から借りたCDの中に偶然「第4回モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」が同封されており、歌手を目指していた松浦亜弥さんはこのオーディションに応募します。
そして、応募総数1,500人の熾烈な競争を勝ち抜き、見事オーディションに合格。
14歳にして、芸能界デビューを果たしました。
デビュー後すぐに、トップアイドルへの仲間入り
2000年10月、14歳にして芸能界入りした松浦亜弥さん。
最初は女優として活動していましたが、翌2001年の4月に「ドッキドキ!LOVEメール」で歌手デビューを果たします。
すると、いきなりオリコンチャートで最高10位を記録するヒットを記録。
さらに、その年の紅白歌合戦に「LOVE涙色」で初出場を果たすなど、デビューからわずか1年で、トップアイドルに駆け上りました。
人気絶頂の中、突然の活動休止
デビュー翌年に紅白歌合戦出場を果たした松浦亜弥さん。
その後も紅白歌合戦には6年連続で出演し、映画、ドラマへの出演や単独ライブ公演も行うなど、アイドルとしてまさに順風満帆の日々を送っていました。
そんな中、2009年に突如、歌手活動の休止を発表。
突然の発表だったため、多くのファンを驚かせ、悲しませました。
実は、この活動休止の原因となったのは、子宮内膜症という病気でした。
病気による体調悪化の結果、松浦亜弥さんは歌手活動の休止に追い込まれたのです。
結婚を経て、母の「あやや」に
病気による活動休止後しばらくは、芸能活動をセーブしていた松浦亜弥さん。
しかし、歌手デビュー10周年となる2011年に、10周年記念ベストアルバムとなる「松浦亜弥 10TH ANNIVERSARY BEST」を発売。
それに合わせてライブを行うなど、徐々に歌手活動を再開していきました。
2013年には、男性ダンス&ボーカルグループ、w-inds.の橘慶太さんとの結婚を発表。
10年以上の交際を実らせてのゴールインだったため、多くのファン、芸能関係者から祝福を受けました。
翌2014年には第一子を出産し、母となった松浦亜弥さん。
今後の一層の活躍が期待されますね。
2001年リリースの「LOVE涙色」! 人気曲の秘密に迫る……!
2001年紅白歌合戦のトップバッターソング!
2001年9月、松浦亜弥さんが歌手デビューして間もない頃にリリースされたのが、「LOVE涙色」です。
オリコンランキングでは週間3位を記録するなどヒット曲となり、松浦亜弥さんはこの曲で紅白歌合戦初出場を果たしました。
さらに、順番の巡り合わせもあり、松浦亜弥さんはトップバッターとして出場。
「LOVE涙色」は、21世紀最初の紅白歌合戦ソングとして、後世に名を残すこととなりました。