浩史は、誰か会いたい人がいるようです。
それは彼を捨てた母親か、あるいは過去に別れた女性かもしれません。
あるいは、現在付き合っている恋人の可能性、そしてそのすべてを含んでいる可能性もあります。
親に対するトラウマを抱く人は、他人に親の姿を重ねることがあるからです。
ここで重要なのは、あくまでも夢の中で会うことを望んでいるという点。
現実で出会うことは願っていません。
理想を追い求めて
これには理由がありそうです。
「明晰夢」という言葉があります。
眠って夢を見ている時に、「これは夢だ」と気がつけることです。
一度夢と分かれば、夢の世界を自分の思い通りに操作することができるようになります。
空を飛ぶことも、魔法を使うことも。
今はもう会えない人を作り出すこともできるのです。
夢の中というのは、いわば理想の世界。
そこに現れる人々は、自分の理想を投影した人物です。
きっと、浩史の望む振る舞いをし、彼の望む言葉を伝えてくれるでしょう。
浩史は一時、それが空想に過ぎないことを忘れるかもしれません。
そして、現実ではうまくいかないことを夢の中で実現するのです。
別れた母親と仲良く話すこと。
あるいは、どこにいるか分からない母親を見つけようとするかもしれません。
どちらも現実では難しいことです。
仮に現実の世界で母親を探したとしても、浩史のことを歓迎してくれるとは限らないのですから。
笑顔の意味
死にたい夜にがぎって思い出す 君の笑顔を
出典: 死にたい夜にかぎって/作詞:アイナ・ジ・エンド 作曲: アイナ・ジ・エンド
前述の通り、私たちは「死にたい」という言葉を比較的気軽に使うようになりました。
何か嫌なことがあれば、気軽に「死にたい」と言う。
恥ずかしかったという心情を伝えるためにも「死にたい」。
同時に、本当に深刻な思いで同じ言葉を使う人も存在します。
浩史の感じる死への願望は、どれほどの切実さをはらんでいるのでしょうか。
ちなみに人間は、太陽が出ていないと気分が落ち込みやすくできているようです。
雨天続きや夜間に気持ちが沈みやすくなることにも、きちんと理由があります。
そう考えると、浩史の「死にたい」は深刻な部類に入るかもしれません。
ですが、そんな彼を押しとどめる回想があります。
「君」と呼ばれる人物の顔です。
自殺願望を消し去るほどの力を持っている笑顔。
浩史にとって、「君」は相当に大切な相手と分かります。
浩史が死んだら、「君」は悲しむかもしれません。
笑顔が消えてしまうのです。
あるいは「君」の幸せを守る使命感のようなものを抱いているのかもしれません。
不器用なふたり
もどかしい思い
少し疲れた君は ただ やるせなく
お揃いのグラスを僕に投げる
出典: 死にたい夜にかぎって/作詞:アイナ・ジ・エンド 作曲: アイナ・ジ・エンド
ここで、現実世界の「君」が登場しました。
揃いのアイテムを使う間柄が読み取れます。
恋人同士である可能性が高そうです。
ここに登場する「君」は、サビの「君」と同一人物かもしれません。
さらに上の歌詞から、「君」の人柄も読み取ることができます。
人は誰でも、疲れているといつもと違う面が顔を出してしまうことがあります。
何も手につかなくなったり、無口になったり、イライラしてしまったり。
「君」はもっと荒々しく、物に当たるタイプのようです。
それだけ疲れと感情を溜めこんでいたのでしょうか。
邪魔なトラウマ
バラバラかけらを集める僕を見ては
泣きじゃくる君を 抱きしめれない そんな僕だ
出典: 死にたい夜にかぎって/作詞:アイナ・ジ・エンド 作曲: アイナ・ジ・エンド
しかし八つ当たりすることは、「君」の本意ではありませんでした。
力強く投げつければ、ガラス製品は簡単に割れてしまいます。
荒々しい「君」に対し、僕、つまり浩史は、怒鳴り返すことはしません。
ただ静かに割れ物を片付けます。
静かな姿勢が「君」を冷静にしたのでしょうか。
もし他のカップルであれば、ここで男性側も声を荒げてケンカになるかもしれません。
その点、冷静さを保つ浩史は寛大そうにすら映ります。
ですがこの時、浩史も心の中で葛藤と戦っていたのでした。
浩史は「君」のことを慰めたいと思っています。
その思いは本物でしょう。
けれど実行することができずにいます。
無意識のうちに、拒絶を恐れているからかもしれません。
浩史のトラウマは、彼の母親に拒絶されたことに根差しています。
もしも慰めようと抱きしめて、腕を振りほどかれたら。
過去の印象が頭の中で再現されて、浩史は動くことができないのです。
黙っているだけ、見つめているだけでは、相手に思いは伝わりません。
浩史が葛藤している間、「君」の心との間にすれ違いが生じています。