歌詞に出てくる雨は何の例えなのか

【いちごいちえ】の歌詞は、1番と2番のBメロに「雨」というワードが登場します。

このワードは何を表しているのでしょうか?

実際に両方のBメロを見て考察してみましょう。

雨は大したことじゃない

雨はにわか雨だからと 傘もささずに笑うおじさん
ねえ 教えてよ ねえ 人はどうして人を求めるの?

出典: いちごいちえ/作詞:Ryoji 作曲:RYOJI NAOKI-T

まず、先ほど紹介してきた“おじさん”がここで現れます。

いつも越後屋でお酒を呑んでいるおじさん達。

彼らは細かいことを気にしません。

いつも上機嫌で、「何とかなる」とドッシリと人生を構えているのです。

その姿勢は、どんなに悲しいことがあっても変わりません。

そう、歌詞に出てくる「雨」というワードは「悲しい出来事」を表現してます。

悲しいことがあると人は、雨が降ったら傘をさすように、何とか対処しようとします。

悲しみを拭おうと必死になっても、上手くいかないことがほとんど。

おじさんはそれを知っているからこそあえて傘はささないのです。

にわか雨だからすぐに止むはずだと思える強さを、あなたも見習いたくなるのではないでしょうか。

いつ雨が止むかなんて分からない

雨は明日には上がるよ 天気予報も見ないおじさん
ねえ 教えてよ ねえ 僕はどうして人を求めるの?

出典: いちごいちえ/作詞:Ryoji 作曲:RYOJI NAOKI-T

2番目のBメロに出てくる「雨」も1番と意味は変わりません。

同じく「悲しい出来事」を表しています。

雨と同様に、悲しいことも苦しいこともいつか終わりがきます

渦中には分かっていても苦しいものですが、これは必ずそうなのです。

しかし、それがいつ終わるかは誰にも分かりません。

雨だって天気予報である程度はいつ上がるのか分かるものの、それは絶対ではありません。

だったらジタバタせず時間に身を任せて、自分の今日を生きるしかないのです。

そんな風に心穏やかに生きているおじさんにだからこそ、少年は人生について訪ねたくなるのかもしれません。

出会った人への感謝の気持ち

タイトルにもなっている一期一会は、「一生に一度の出会い」を意味することわざ

そのタイトル通り、この曲は人との出会いをテーマに作られています。

ドラマ【菊次郎とさき】の原作者である北野武も、様々な一期一会を体験してきたのでしょう。

歌詞の至るところで、北野少年が大人になり感じた、出会った人への感謝の気持ちが表現されています。

過去があってこその自分

時にはがむしゃらで 愛の意味すら分からずに
愛とすれ違って ムキになって夢を追いかけたあの頃も
今ではやっと笑えるよ 過去があっての今の僕と
だから出会い笑い喜び 人として人を愛してゆくよ

出典: いちごいちえ/作詞:Ryoji 作曲:RYOJI NAOKI-T

芸人を目指し、厳しい芸能界へと進んだ北野武。

きっと今の地位に辿り着くまでに様々な苦労をしただろうと思います。

愛情を注いでくれた家族や下町の人たち。

そのことすらも忘れて、愛を信じられなくなることもあったでしょう。

それでも少年時代に出会った人からもらった愛は、血や汗となり、北野を形づくっているのです。

大人になったら、今度は自分は人を愛する番。

その決意が歌詞で表現されています。

自分の姿を誰かが見てくれていた

求め続けてこれた出会いに愛をささげよう
僕の変わらない全てを 貴方が見てた
諦めず続けてゆける出会いに愛を伝えよう
貴方が努力する姿を 僕は知ってた

出典: いちごいちえ/作詞:Ryoji 作曲:RYOJI NAOKI-T

サビの歌詞では、出会ってきた人たちへの感謝の気持ちが綴られます。

夢を諦めずに追いかけ、人生を放棄せずに生き続けてこられたこと。

それは自分をいつも見守ってくれていた人たちがいたからです。

それは父や母だったかもしれない。兄弟だったかもしれない。

はたまた、近所のおじさんやおばさんだったのかもしれない。

誰でもいいのです。

自分をしっかりと見ていてくれる人が存在するということは力になるもの。

そんな人たちに、愛情でお返しができる人間になりたいと心から思います。

また同時に、自分自身も誰かの頑張っている姿を見ているものです。

巡りめぐって誰もが誰かの力になっている…。

だからこそ出会いは美しく、人は人を求めるのかもしれません。

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