息でくもる窓に書いた
君の名前指でたどり
あとの言葉迷いながら
そっといった
出典: 街の灯り/作詞:阿久悠 作曲:浜圭介
野太く何処までも伸びてゆくような堺正章の声量にまた惚れてしまいます。
歌詞の方も中々憎い仕掛けがなされているので注意です。
窓ガラスが曇ったところにそばにいる女性の名前を指で書いてみる。
その文字を指でたどり直してみて一息ついて勇気を出してある言葉を彼女にそっと囁きます。
ところが阿久悠はここで小憎らしい演出をしました。
歌詞の中にここで青年が女性に向かってつぶやいた言葉を歌詞では明示しないのです。
これは何とも巧みな演出であります。
青年が女性に向けて囁いた言葉が何であったかはリスナーの想像に任されるのです。
「好きだよ」
「愛しているよ」
どれもこの歌詞の中に放り込むと少し野暮になります。
阿久悠はこうした愛の言葉を一切書かずにしかし青年が女性に告白したことを悟らせるのです。
かつてこんなに粋な作詞の方法があったでしょうか。
この当時でも珍しい方法でしょうが今の時代にあっても阿久悠が用いた手法は斬新です。
多くの人にこの偉業を知って欲しいもの。
阿久悠はさらに巨匠へなるべく羽ばたいてゆきます。
しかし阿久悠の全盛期はもう少し後の時代です。
阿久悠が売出し中の時代に書いた尾崎紀世彦「また逢う日まで」が1971年。
この「街の灯り」は1973年。
沢田研二やピンクレディーとの黄金時代はもう少し後になります。
そんな微妙な時代ですがここまで冴えた手法を用いた歌詞を書いていたことに驚かされずにはいれられない。
天才というのは怖ろしいものです。
ふたりで見た「街の灯り」
「街の灯り」を擬人化する
街の灯りちらちら あれは何をささやく
愛が一つめばえそうな胸がはずむ時よ
出典: 街の灯り/作詞:阿久悠 作曲:浜圭介
ここで堺正章はまたぐっと落ち着いた歌唱に戻ります。
歌詞の方は幸せがまたひとつこの世界に生まれそうなことを示すのです。
「街の灯り」は若いふたりに何を語りかけるのでしょうか。
阿久悠は「街の灯り」を擬人化します。
あの灯りは人に何かを囁くような温かさを感じるものです。
窓の向こうに見える光景と窓の内側にあるふたりだけの世界。
ふたりが幸福を掴む瞬間にキラキラと光る「街の灯り」は忘れ難い記憶になったでしょう。
寂しさをシェアするだけでなく愛の言葉へと気持ちを昇華させた青年。
女性は青年の想いにどう答え・応えてくれるのか気になります。
クライマックスの歌詞を見てみましょう。
昭和歌謡の歴史に残る
堺正章の新境地を拓いた名曲
好きな唄を耳のそばで
君のために低く歌い
あまい涙さそいながら
そして待った
街の灯りちらちら あれは何をささやく
愛が一つめばえそうな胸がはずむ時よ
出典: 街の灯り/作詞:阿久悠 作曲:浜圭介
堺正章の歌をすぐそばで聴くことができるなんて彼の近親の人も経験あるかどうか分からないこと。
これはあくまでも阿久悠が描いたドラマです。
それでも本当に堺正章が隣の肩を触れ合わせている女性に歌を聴かせている姿が目に浮かびます。
これは堺正章のような軽妙洒脱な人柄の人物だからあり得ることとして認識されるのです。
例えばこのラインを尾崎紀世彦が歌ったらちょっとこうした場面は想像できなくなります。
この曲を書くに当たって歌手が堺正章であることはおそらく阿久悠も事前に知っていたのでしょう。
ただ、そうだとすると阿久悠は明るい青年である堺正章に対して新しい人物像を与えました。
「街の灯り」の冒頭の寂しさに潰されそうな青年を演じさせたのです。
ドラマ「時間ですよ」の明るい青年像でお茶の間に知られていた堺正章。
そんな彼に影がある人物像を当て込むのは新境地を拓かせる決断であったはずです。
歌が人を鍛えてゆきます。
堺正章はこの曲「街の灯り」を経てシンガーとしての幅や実力をさらに高い次元へ羽ばたかせました。
昭和歌謡と新時代と
昭和歌謡の歴史に足跡を残した堺正章の「街の灯り」。
阿久悠はここでも罠を仕掛けます。
女性が青年の告白に対してどんな言葉で答え・応えたのかが書かれていないのです。
青年が女性の言葉を待つところで一度インターバルを置いた後にすぐサビに移行します。
女性は青年に何という言葉を返したのでしょうか。
これもまたリスナーの想像力に任されます。
愛の言葉というものは美しい日本語の中では不細工である場合が多いです。
「私もあなたが好き」
そんな言葉が明示されていたらこの「街の灯り」は歌謡史に残る名曲にはならなかったでしょう。
ただし女性の言葉が色良い返答であったのはサビの歌詞から分かるようになっています。
愛が一つめばえそうな胸がはずむ時よ
出典: 街の灯り/作詞:阿久悠 作曲:浜圭介
愛が成就する一瞬前の胸の昂ぶりが描かれています。
歌い出しの重い世界観は最後のこの言葉で救済されるのです。
阿久悠はリスナーの理解度に関して信頼があったのでしょう。
愛の言葉を明示せずに愛の成就を描ききります。
阿久悠はこの曲で革命的な手法を用いたのです。
「街の灯り」が昭和歌謡の歴史に遺した財産は様々あります。
堺正章の素晴らしい歌唱。
浜圭介のソング・ライティングの素晴らしさ。
ブラスを効果的に響かせるアレンジ。
そして何よりも一遍の短編小説を読み切ったような満足感をもたらす阿久悠の歌詞。
すべてのエレメントがこの曲を特別な歌にしました。
驚くほど短い歌詞ですがこれだけのドラマを詰め込まれていることに感動します。
昭和歌謡の名曲はいいです。
どの歌も今の歌にはない魅力がいっぱいあります。
同時代の音楽も吸収しながら昭和歌謡にも理解を示してください。
例えばあいみょんのような現代のポップアイコンになったアーティストも昭和歌謡に影響を受けています。
音楽という趣味嗜好は過去にいくらでも遡ることができることも魅力のひとつ。
昭和歌謡があるから平成の歌が生まれ新世代はさらに新しい音楽を旧い音楽にヒントを得て生み出す。
音楽というものは尽きせぬ源泉がたっぷりあります。
1973年、「街の灯り」で阿久悠が歌詞に仕掛けた罠。
愛の言葉をリスナーの想像に任せてしまうような掟破りの歌詞にヒントを得た新しい歌に出会いたいです。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。