今でも鮮やか「さらば恋人」
堺正章のソロ・デビュー・シングル
1971年5月1日発表、堺正章のソロ・デビュー・シングル「さらば恋人」。
作詞はザ・フォーク・クルセダーズの北山修、作曲が筒美京平という今では考えられない豪華な布陣です。
筒美京平はこの時期に名曲を量産します。
一方、北山修も「戦争を知らない子供たち」「あの素晴しい愛をもう一度」など名曲中の名曲を書いていた時期。
「歌詞の内容は9割が実話」という北山修。
「さらば恋人」も実話なのでしょうか?
経験した人でしか書けないような描写がいくつか見られますが真相は如何に。
また堺正章の歌唱も素晴らしいです。
若い方には「芸能界の大御所」としての彼の姿しか知らない人も多いはず。
しかし若い頃にこれだけ素晴らしい歌唱力を示していたからこその現在の地位があると知って欲しいです。
若い男女の別れの歌で切なさが溢れる一曲。
一方、別れに際しての「責任」の所在に関してとても潔いことが共感を呼びます。
昭和歌謡の忘れられない一曲ですが今の時代にも爽やかに響く魅力がいっぱいです。
この曲の歌詞を紐解いてその魅力の源泉に迫ります。
堺正章の卓抜した歌唱力
さらりとした別れの歌
さよならと 書いた手紙
テーブルの上に置いたよ
あなたの眠る顔みて
黙って外へ 飛びだした
出典: さらば恋人/作詞:北山修 作曲:筒美京平
有名な歌い出しです。
突然生々しく別れという結論を切り出す歌詞になっています。
それでも堺正章の軽妙な歌い上げ方が見事ですので別れということの重みは軽減されるのです。
筒美京平が書いたメロディーも美しくこの曲が名曲になるのは歌い出しですべて決まっています。
北山修は後に精神科医としても著名になる人ですがここでは「観察」された自分の姿を描くのみです。
外へ飛び出す前に「君」の寝顔を見つめる辺りに嫌になって別れたという理由ではないことを伺わせます。
別れる前に派手な喧嘩を仕掛けた形跡は一切ないです。
主人公が何故別れを決めたのかその理由を知りたくなります。
もう少し先を見ていきましょう。
安定した生活を捨てる「僕」
「根無し草」「風来坊」
いつも幸せすぎたのに
気づかない二人だった
冷たい風にふかれて
夜明け町を一人行く
出典: さらば恋人/作詞:北山修 作曲:筒美京平
堺正章の声の伸びの美しさに惚れ惚れします。
2011年のクレイジーケンバンドとの共演「そんなこと言わないで」以来、中々新曲が出ません。
今でも歌唱力は健在なはずなのでもっと彼のいい歌を聴きたいものです。
尚、「さらば恋人」には1991年ヴァージョンもありますのでご興味を抱いた方は聴いてみてください。
歌詞の方は別れを決めてからふたりが築いてきた幸せな日々に気付くというもの。
そんな幸せな日々を捨てでまで主人公の「僕」が別れを決意した理由はまだ分かりません。
安定した生活を突然捨てたくなるタイプのメンタリティーを持ち合わせている人もいます。
「僕」もそうしたタイプの人間なのでしょうか。
「根無し草」
「風来坊」
今はあまり使われなくなった言葉ですがこの頃の叙情派フォークには度々登場するスタイルです。
元々、安定した基盤がある生活には耐えられないタイプの人々のこと。
こうしたタイプの人とは誰も一緒に添い続けられないです。
始発電車が走り出す時間を見計らって家を出た「僕」。
行く宛はあるのでしょうか。
心配になります。
潔く罪をかぶる「僕」
新しい時代のメンタリティー
悪いのは僕のほうさ
君じゃない
出典: さらば恋人/作詞:北山修 作曲:筒美京平
有名なサビになります。
まったくその通りなのですが潔くその責任を認める歌詞というのはこの時代では珍しかったはずです。
お互いを詰ることなく別れを機会に傷つけ合うこともしない。
当時のリスナーは新しい時代のメンタリティーをこの歌詞に見出して衝撃を受けたと思います。
実際の男女の別れでこうした潔い想いを抱ける人は残念ですが少数派かもしれません。
とはいえ確かにこの歌では女性の方に非は一切ないのです。
幸せであることに気付いているのに「僕」は明け方に家を出てしまいました。
幸せでいることに負い目を感じる人もいますが「僕」もそうしたメンタリティーを持ち合わせているのかも。
依然、別れを決めた理由は分からないままです。
北山修の経験したことだとするならば本人は理由を知っています。
しかしその理由を歌詞に書くことは潔いことではないでしょう。
それよりも「僕」にすべての責任があると宣言した方が自分の理念やスタイルに合っている。
北山修は「あの素晴しい愛をもう一度」では別れの理由を書いています。
心が通い合わなくなったのだと別れの理由を明示するのです。
「さらば恋人」ではそうした説明が省かれています。
どちらも北山修による不朽の名曲ですが対照的な歌詞です。