ヨイトマケの唄

母と子の物語

【美輪明宏/ヨイトマケの唄】歌詞の意味を知った時、あなたは衝撃を受ける!永遠に伝え続けたい名曲を解説の画像

子供の頃に 小学校で
ヨイトマケの子供 きたない子供と
いじめ抜かれて はやされて
くやし涙に くれながら
泣いて帰った 道すがら
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た

姉さんかむりで 泥にまみれて
日に灼けながら 汗を流して
男にまじって 綱を引き
天に向かって 声あげて
力の限りに うたってた
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た

出典: ヨイトマケの唄/作詞:美輪明宏 作曲:美輪明宏

「ヨイトマケの唄」は、貧しくも懸命に生きた母と子の姿を描いた歌です。

母親は日雇い労働者として、工事現場で働いていました。

周りの男たちに交じっての過酷な肉体労働に、力の限りを尽くす毎日。

真っ黒に日に焼けた顔は、汗と泥にまみれています。

その小学生の息子は、学校ではいつもいじめられていました。

彼は悔しさやつらさに耐え、大好きな母ちゃんに心配をかけまいとします。

母は、そんな息子を励まし、慰め続けました。

時が過ぎ、一人前の社会人になった息子。

苦労に苦労を重ね、懸命に生きた母ちゃんは、もうこの世にはいませんでした。

それでも、母ちゃんのことを、母ちゃんからもらった尊い愛情を、思い出すのです。

そんな感動的な母と子の物語。

それはまさに、美輪明宏自身の幼い頃の友人母親の姿でした。

デビュー60年、2012年に初出場したNHK紅白歌合戦で歌ったのが「ヨイトマケの唄」です。ピンスポットが当たるだけの質素な演出は、歌だけで勝負したい、勝負できるという強い思いによるもの。その気迫あふれる歌唱は、視聴者に圧倒的な感動を与えました。

「ヨイトマケ」とは

日雇い労働者を差別

高度成長期の1966(昭和41)年、シングルレコードが発売された「ヨイトマケの唄」。

「ヨイトマケ」とは、日雇い労働者を蔑(さげす)んだ差別用語です。

作詞・作曲したのは美輪明宏自身で、本人によると、「ヨイトマケ」の語源は「ヨイっと巻け」。

戦後間もない頃。土木工事の現場には、建設機械など普及していませんでした。

地面を固める唯一の手段は、重たい槌(つち)を滑車で引っ張り上げては落とすという過酷な作業。

「ヨイっと巻け」は、槌を吊るした綱を、数人がかりで力を合わせて巻き上げる際の掛け声でした。

そうした力仕事は主に、日雇い労働者にあてがわれました。

泥まみれで働く、貧しい「ヨイトマケ」の子供であることをからかわれた、この曲の主人公。

悔し涙を流して帰る途中に見たものは、懸命に働く母ちゃんの姿でした。

「母ちゃんは、何のためにこんなに苦労しているのか」

主人公の少年は、それを誰よりもよく知っていたのでしょう。

幼心に立てた誓い

勉強するよ

慰めてもらおう 抱いてもらおうと
息をはずませ 帰ってきたが
母ちゃんの姿 見たときに
泣いた涙も 忘れはて
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと 云いながら
勉強するよと 云いながら

出典: ヨイトマケの唄/作詞:美輪明宏 作曲:美輪明宏

家に帰り、母ちゃんに泣きついて慰めてもらうつもりだった少年。

しかし、工事現場で母ちゃんの姿を見た途端、逃げ出してきた学校に戻ることを決意します。

「ヨイトマケの子供 」

「きたない子供」

そんなひどい言葉で罵(ののし)られた学校へと、踵(きびす)を返したのです。

もちろん、母ちゃんを心配させたくないという気持ちもあったでしょう。

しかし、少年は自らに言い聞かせるように「勉強するよ」との言葉を繰り返します。

終戦まで、世襲的身分制度が存在していた日本。

身分の低い者が貧しさから抜け出す唯一の手段は、一生懸命に勉強をすること。

つまり、学歴や資格を身につけることでした。

それは、泥にまみれて働く母ちゃんを助ける、唯一の手段でもあったのです。

立派に成長した少年

亡き母との絆

あれから何年 たった事だろ
高校も出たし 大学も出た
今じゃ機械の 世の中で
おまけに僕は エンジニア
苦労苦労で 死んでった
母ちゃん見てくれ この姿
母ちゃん見てくれ この姿

出典: ヨイトマケの唄/作詞:美輪明宏 作曲:美輪明宏

「勉強するよ」と誓った通り、少年だった主人公は高校、さらに大学まで卒業します。

就いた仕事は、高度経済成長の建設ラッシュを支えるエンジニア(技術者、技師)。

機械が普及した工事現場で、苦労の末に亡くなった母ちゃんに思いをはせるのです。

そんな母と子の深い絆が、人々を感動させたのは言うまでもありません。

しかし、「ヨイトマケの唄」が大衆の心をつかんだ理由は、それだけではありませんでした。