ヨイトマケの唄
母と子の物語
子供の頃に 小学校で
ヨイトマケの子供 きたない子供と
いじめ抜かれて はやされて
くやし涙に くれながら
泣いて帰った 道すがら
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た
姉さんかむりで 泥にまみれて
日に灼けながら 汗を流して
男にまじって 綱を引き
天に向かって 声あげて
力の限りに うたってた
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た
出典: ヨイトマケの唄/作詞:美輪明宏 作曲:美輪明宏
「ヨイトマケの唄」は、貧しくも懸命に生きた母と子の姿を描いた歌です。
母親は日雇い労働者として、工事現場で働いていました。
周りの男たちに交じっての過酷な肉体労働に、力の限りを尽くす毎日。
真っ黒に日に焼けた顔は、汗と泥にまみれています。
その小学生の息子は、学校ではいつもいじめられていました。
彼は悔しさやつらさに耐え、大好きな母ちゃんに心配をかけまいとします。
母は、そんな息子を励まし、慰め続けました。
時が過ぎ、一人前の社会人になった息子。
苦労に苦労を重ね、懸命に生きた母ちゃんは、もうこの世にはいませんでした。
それでも、母ちゃんのことを、母ちゃんからもらった尊い愛情を、思い出すのです。
そんな感動的な母と子の物語。
それはまさに、美輪明宏自身の幼い頃の友人と母親の姿でした。
「ヨイトマケ」とは
日雇い労働者を差別
高度成長期の1966(昭和41)年、シングルレコードが発売された「ヨイトマケの唄」。
「ヨイトマケ」とは、日雇い労働者を蔑(さげす)んだ差別用語です。
作詞・作曲したのは美輪明宏自身で、本人によると、「ヨイトマケ」の語源は「ヨイっと巻け」。
戦後間もない頃。土木工事の現場には、建設機械など普及していませんでした。
地面を固める唯一の手段は、重たい槌(つち)を滑車で引っ張り上げては落とすという過酷な作業。
「ヨイっと巻け」は、槌を吊るした綱を、数人がかりで力を合わせて巻き上げる際の掛け声でした。
そうした力仕事は主に、日雇い労働者にあてがわれました。
泥まみれで働く、貧しい「ヨイトマケ」の子供であることをからかわれた、この曲の主人公。
悔し涙を流して帰る途中に見たものは、懸命に働く母ちゃんの姿でした。
「母ちゃんは、何のためにこんなに苦労しているのか」
主人公の少年は、それを誰よりもよく知っていたのでしょう。
幼心に立てた誓い
勉強するよ
慰めてもらおう 抱いてもらおうと
息をはずませ 帰ってきたが
母ちゃんの姿 見たときに
泣いた涙も 忘れはて
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと 云いながら
勉強するよと 云いながら
出典: ヨイトマケの唄/作詞:美輪明宏 作曲:美輪明宏
家に帰り、母ちゃんに泣きついて慰めてもらうつもりだった少年。
しかし、工事現場で母ちゃんの姿を見た途端、逃げ出してきた学校に戻ることを決意します。
「ヨイトマケの子供 」
「きたない子供」
そんなひどい言葉で罵(ののし)られた学校へと、踵(きびす)を返したのです。
もちろん、母ちゃんを心配させたくないという気持ちもあったでしょう。
しかし、少年は自らに言い聞かせるように「勉強するよ」との言葉を繰り返します。
終戦まで、世襲的身分制度が存在していた日本。
身分の低い者が貧しさから抜け出す唯一の手段は、一生懸命に勉強をすること。
つまり、学歴や資格を身につけることでした。
それは、泥にまみれて働く母ちゃんを助ける、唯一の手段でもあったのです。
立派に成長した少年
亡き母との絆
あれから何年 たった事だろ
高校も出たし 大学も出た
今じゃ機械の 世の中で
おまけに僕は エンジニア
苦労苦労で 死んでった
母ちゃん見てくれ この姿
母ちゃん見てくれ この姿
出典: ヨイトマケの唄/作詞:美輪明宏 作曲:美輪明宏
「勉強するよ」と誓った通り、少年だった主人公は高校、さらに大学まで卒業します。
就いた仕事は、高度経済成長の建設ラッシュを支えるエンジニア(技術者、技師)。
機械が普及した工事現場で、苦労の末に亡くなった母ちゃんに思いをはせるのです。
そんな母と子の深い絆が、人々を感動させたのは言うまでもありません。
しかし、「ヨイトマケの唄」が大衆の心をつかんだ理由は、それだけではありませんでした。