未来を選び取るのは誰か
我が儘にもっと飛行
眼を光らせて
雨が直ぐ隣りで嘲笑い続けようと
探して 拾って 皆 嘗てない未来への事
出典: 発熱/作詞:猪狩翔一 作曲:猪狩翔一
1番では地面から空を見上げていました。
サビを経て、ここでは空を飛んでいます。
暗闇から立ち上がったんなら、あとはもうひたすらに目指したいところへ駆け抜けろ。
そんな意味にとらえることができそうです。
なにかを頑張ろう、そう決意すると人は多くのものを背負い込みがち。
張り切りすぎたり、プレッシャーを感じたり。空回りしてしまうこともあります。
でも、"探して〜"の部分で選択権が自分にあることを伝えてくれていますね。
掲げた目標を手に入れるための道をつくるのは、他の誰でもない。自分自身なのです。
暗闇の隣にある光とは
どうか 非常事態に向かい合って
瞼の裏で共に居た光よ 僕等を待ってて
見様見真似で構わないなら
自由になれる
呼吸を 鼓動を 全部 二つとない未来での事
出典: 発熱/作詞:猪狩翔一 作曲:猪狩翔一
"瞼の裏"とは一般的に光が届かず真っ暗な様子を表現するときに使います。
でもこの歌詞ではそこに"光"があると歌っていますね。
かなり独特な表現です。
ここで1番の内容を振り返ってみましょう。
冒頭では、"僕等"が真っ暗な空間のなかにポツンと立っているようなイメージでした。
ここでは、自分自身のなかに闇と光があると表現しています。
闇を絶望したくなるような出来事として捉えてみましょう。
そう考えると、ここの歌詞では絶望を生み出すのは自分の心だと表現しているようです。
ときには絶望も生み出すし、希望も持っている"僕等"の心。
一体どうしたらいいのでしょうか?
その答えが3行目からの歌詞でしょう。
不格好でいいからもがけ、そうすれば光が見えてくる。
そんな意味に解釈することができるのではないでしょうか。
色づき始める世界
いつも色のない舞台に立って
尚 その奥で誰も観た事もない朝陽を待ってる
途方に暮れて 掠れて
今 自分に触れる
そんな名前のない世界にだって
未だ その中でいつか観た光に似た朝陽を待ってて
もう還らない日を生きる証明に
自分に触れる
出典: 発熱/作詞:猪狩翔一 作曲:猪狩翔一
前半は1番のサビを繰り返します。
最後のサビの歌詞を見てみましょう。
ここまで歌われてきた"僕等"の世界は、特定の誰かのものではないと言っています。
裏を返せば、誰もが持っているものということなのでしょう。
みんな絶望しながらも希望を目指して立ち上がるのです。
同じ日が再びやってくることはないし、過去の自分を繰り返すことはありえません。
「あの時、ああしていれば…」
そんなタラレバを想像したとしても、生きている限り時は未来へと進んでいくもの。
どうしたって進んでいく毎日。
そのなかで、自分が本当に目指したいところはどこなのか。
それを思い出すために、"僕等"は自分の熱に触れて、また今日も前を向いていくのです。
アニメ盤ジャケットを飾るのは…
「発熱」にはアニメ盤のジャケットが存在します。
そのイラストに描かれているのは、青葉城西の天才セッター・及川徹。
先ほどの歌詞解説のなかで、主人公の2人が呆然と見送った背中はこの及川徹の背中でした。
青葉城西はアニメの第1期で烏野に勝利します。
そして第2期では春高の代表決定戦で、再び烏野と青葉城西が激突。
今度は烏野が雪辱を果たしたところで、第2期は最終回を迎えます。
EDの映像では、「発熱」に乗せて烏野がどん底から這い上がっていく様子が描かれていました。
でも、ジャケットに描かれているは及川徹なのです。
そのことを踏まえると、「発熱」は及川徹の絶望からの再スタートを歌う楽曲でもあったのかもしれません。
ある意味、どのキャラクターにも、どの視聴者にも当てはまる希望の歌なのでしょう。
暗闇の深さは人それぞれです。でもつまづきのない人生なんてありえません。
なにかつらいことがあったとき、この楽曲自体が心に火を灯す"熱源"になってくれるのではないでしょうか。
「発熱」の映像
「ハイキュー!!」ED映像は残念ながら公式では配信されていません。
ここでは「発熱」のトレーラー映像をご紹介します。
これはこれでシンプルでかっこいいのですが……。
アニメとの親和性が気になる!という方は、ぜひ「ハイキュー!!セカンドシーズン」をご覧ください。