誰もが認める天才的シンガー宇多田ヒカル
デビュー曲でいきなりのダブルミリオン達成
デビュー曲「Automatic」をいきなり、ダブルミリオンセールス達成させるという大記録を樹立し、世間から一気に注目を浴びました。
その当時、宇多田ヒカルはまだ15歳という少女でしたが、自身でこの曲を作詞作曲したこと、またアメリカでの生活経験を活かした抜群の発音で多くの人の心を掴みました。
このたった1曲で、宇多田ヒカルはその名を全国に轟かせ、15歳の少女は一躍トップシンガーの仲間入りを果たしました。
また、演歌歌手「藤圭子」の娘という事実も大きな話題となりました。
実力でも、プライベートでも宇多田ヒカルは話題に事欠かない人物として当時、世間から大注目を浴びていました。
未だに破られていない日本記録
宇多田ヒカルには、未だに破られていない記録があります。
それは、1999年3月10日に発売された自身初のアルバム「First Love」でのアルバムセール数です。オリコン情報によると、なんとその数は765万枚にも及び、日本国内のアルバムセールス歴代1位の座を獲得しました。
オリジナルアルバムよりもベストアルバムが好まれていた当時の風潮を覆すかのような売れ行きに音楽関係者からは驚きの声があがっていたそうです。
デビューしてから、わずか数ヶ月しか経っていない歌手がここまで世間に浸透し、日本記録を樹立したことは嬉しいニュースとして連日放送されていました。
ギネスブックも認定の宇多田ヒカルの実力
宇多田ヒカルは、なんとあのギネスブックに「日本で最もアルバムを売り上げたアーティスト」として認定されています。
その実績は、ファーストアルバム「First Love」で累計765万枚、セカンドアルバム「Distance」で累計486枚、サードアルバム「DEEP RIVER」で累計360万枚という華々しいものです。
アルバムを3作連続で、300万枚以上売り上げた人物は日本では宇多田ヒカルだけです。
やはり、凄まじい数字ですね。彼女は名実ともに日本を代表するトップシンガーです!
宇多田ヒカルの人物像に迫る♪
天才的トップシンガー宇多田ヒカルはどのような人物なのでしょうか?
ここでは、彼女のプロフィールを紹介していくと共に、2010年から約6年間芸能活動を休止していた謎についてもリサーチしていきます。
プロフィール紹介
宇多田ヒカルは、1983年1月19日にニューヨークで生まれます。
父は音楽プロデューサーの宇多田照實、母は演歌歌手の藤圭子という音楽一家です。
ニューヨークの小学校に通っていた頃は、その頭の良さから飛び級をしていたという過去を持っています。日本のアメリカンスクールでも飛び級をしており、その後コロンビア大学へ進学します。ですが音楽活動が忙しくなり、休学の末に退学という道を選びました。
その後、2002年に映画監督でもあり、写真家でもある紀里谷和明と結婚をしました。約15歳差の大物カップルの結婚に世間は大いに盛り上がりました。
そんな二人ですが、2007年に価値観のずれから離婚をしてしまいます。
その後、2010年から2016年の約6年間を、色々な経験を積む「人間活動期間」として、芸能活動を休止していました。
その間の2014年にイタリア人男性と再婚、その後、2015年には第一子となる男の子が誕生しています。
人間活動とは?
宇多田ヒカルが、2010年から2016年の約6年間を費やした「人間活動」とは一体どんな活動なのでしょうか?
以前、彼女はテレビ番組で「自分が何をしたいのかが見えなくなってきて、一旦全てをリセットしたくなった」と語っています。
また、この期間に彼女は今まで経験することが出来なかった「青春」を楽しんだということも語っています。
15歳という多感な時期に、芸能界デビューを果たし、そのまま突き進んできた彼女には休憩の時間が必要だったに違いありません。
また、この「人間活動」という言葉には、自分自身をもっと成長させたいという意味合いが含まれています。
「人間活動」の期間を終えて、私たちの前に戻ってきてくれた宇多田ヒカルからは、今後も目が離せません!