『荒野を歩け』の作詞のエピソードについては〝(映画が)不思議な世界観なので、写実的に街の風景を描くというよりは、若干不思議な風景でいいのかなとおもって言葉を選んだ〟と話すVo.後藤氏。
Vo.後藤の歌詞から見える風景とは?
あの娘がスケートボード蹴って
表通り 飛ばす
雨樋 するっと滑って
ゆるい闇が光る
出典: http://sp.uta-net.com/song/226693/
スケートボードを乗りこなす女の子が登場する時点で、すでにストーリーの奇抜性が浮かび上がっています。
〝雨樋(あまどい)〟が滑って闇が光る、という表現には、日本古来の懐かしさと現代的な色気のようなものが表現されています。
背伸びでは足りないボーイズが
世界を揺らす
「君らしくあれ」とか
千切ってどこか放す
出典: http://sp.uta-net.com/song/226693/
主人公になっている〝先輩〟は大学生という設定ですが、この年頃には皆〝背伸び〟がしたくなるもの。
どこか大人びて見えたい願望から「君らしくあれ」とキザに呟いてみたりするのでしょう。
理由のない悲しみを
両膝に詰め込んで
荒野に独りで立って
あっちへ ふらふら また
ゆらゆらと歩むんだ
どこまでも どこまでも
出典: http://sp.uta-net.com/song/226693/
〝理由のない悲しみ〟というのは本来悲しむに足らないような悲しみを指しているのかもしれません。
それでも若いときには、小さな事でも大げさに捉えて孤独や悲しみに酔ってみたくなるもの。
〝荒野に独りで立って〟というのは抽象的な表現ですが、少しナルシストっぽくも聞こえます。
町中のかがり火を
胸の奥に灯して
この世のエッジに立って
こっちへ ふらふら また
ゆらゆらと歩むんだ
どこまでも どこまでも
出典: http://sp.uta-net.com/song/226693/
〝町中のかがり火〟というフレーズに京都らしさが表れています。
多くの神社やお寺で目にする〝かがり火〟を胸の奥に灯す、という表現には京都のソウルを感じさせますね。
〝この世のエッジに立って〟という表現は、若者だからこそ持ち得る少し自意識過剰な感覚なのかも。
背面三回宙返り
着地をミスした道化師の表情が
ちょっと曇ったように見えた
翻る万国旗の合間
祈るよ彼の無事を
出典: http://sp.uta-net.com/song/226693/
京都の町には多くの大道芸人が多いのも事実。
多くの人々の注目が集まる中、大技に失敗した大道芸人に対し〝彼の無事を祈るよ〟と言う態度には〝自分はには起こり得ない失敗だ〟という余裕が見え隠れしています。
僕たちはどうだろう?
出典: http://sp.uta-net.com/song/226693/
ここまで来てふと我に返っていることが見える部分ですね。
自分に酔っていることがほとんどでも、時々は物事が客観的に見えてしまう瞬間があるのかもしれません。
あの娘がスケートボード蹴って
表通り 飛ばす
いつしか僕らの距離が狭まって
ゆめゆめ 思わぬ 未来が呼んでる
歌えよ 踊れよ
ラルラルラ
出典: http://sp.uta-net.com/song/226693/
〝理由のない悲しみ〟を抱えてもいつかは好きな人に近づけるに違いない、という主人公の楽観的な心情が出ています。
〝歌えよ、踊れよ〟というところにも根本的な気楽さが見えます。
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