主人公の心境変化
ちょっと好きになれるかも…?
悩みを抱いて迎える朝が来ても
そんな日々も少しの間なら愛してもいいかな
出典: 憂鬱も愛して/作詞:コレサワ 作曲:コレサワ
「もう1人の自分」のおかげで少しずつ前を向き始めた主人公。
いつまでも終わらないと思っていた憂鬱がいつか終わると知り、むしろその感情に愛おしささえ感じている様子です。
いつかなくなってしまうなら、せめていまだけは大切にしたい。
できるだけ自分から切り離したかった感情に対して、突然愛着がわいてきたのでしょう。
タイトルの【憂鬱も愛して】の意味が少しずつわかってきました。
言葉にできることばかりじゃない
いつもと同じ明日はいらない
何も出来ずに ただ 待つだけなんて
出典: 憂鬱も愛して/作詞:コレサワ 作曲:コレサワ
続けて、主人公が憂鬱に対して抱いている想いを綴っています。
1行目がまさに憂鬱のこと。モヤっとした感情は、言葉で明確に表現できるものではありません。
「なんとなく」という表現がまさにぴったりで、だからこそ苦しいのです。
主人公もその苦しさは理解しています。2行目からは憂鬱を抱え続ける未来への嫌悪感も感じられますね。
しかし憂鬱がいつか終わることに気がついた主人公は、ただ苦しみ続けるだけではありません。
3行目からは、憂鬱が続く日々からの脱却を目指す強さを感じることができます。
いまだけなら…
思い出せばぎゅっと悲しくなることがあって
それが今をちょっと憂鬱にするけど
それも多分ずっと続くことじゃないよ
だから全部愛していたいんだ
出典: 憂鬱も愛して/作詞:コレサワ 作曲:コレサワ
ここまでの憂鬱は、どちらかといえば現在進行形の感情でした。
ここでは少し変わって、過去の記憶から呼び起こされる憂鬱について歌っています。
それを経験したときには何も感じなかったけれど、後から考えてみたらモヤモヤする…。
こんな経験をしたことがある人はきっと多いでしょう。
このタイプの憂鬱が厄介なのは、あやふやな記憶をもとにした感情であるということです。
「こうだったかもしれない」「ああだったかもしれない」と余計なことまで考え、脚色された「憂鬱」。
本当はそこまで重大ではないのに、深く思い悩むことになってしまうのです。
そんなちょっぴり深いネガティブの中にあっても、3-4行目のとおり主人公は前向きさを失ってはいません。
憂鬱はいつか絶対に終わる。そう理解しているからこそ、深い憂鬱でさえもうまく受け流せるのです。
主人公の大きな心の変化が感じられますね。
タイトルの意味
憂鬱さえも愛したいのは
だから全部愛していたいんだ
全部わかっていたいんだ
全部愛していたいんだ
出典: 憂鬱も愛して/作詞:コレサワ 作曲:コレサワ
最後にタイトル通り、自分の中に広がっている憂鬱への愛を繰り返しています。
いつかいなくなってしまう一時的な感情なら、その間くらいは大切にしてもいいのではないか。
これまで触れてきたとおり、憂鬱への愛おしさがあったと考えられます。
ただここまで愛を抱いているということは、それ以上の理由があるかもしれませんね。
憂鬱を愛したい本当の理由
憂鬱は気持ちをどんよりさせますが、それでも自分自身が抱いている感情に違いありません。
自分の感情にもっとしっかり向き合いたい。自分が感じたことを大切にしたい。
そんな想いがあったのではないでしょうか。
ポジティブな感情だけでなくネガティブな感情も、何かしらの理由があって出てきたものです。
それらの感情を抱いたのであれば、その時々の自分の心を受け入れてあげるべきではないだろうか。
主人公のそんな心構えが反映されているように感じられます。
だからこそ「愛する」だけではなく、その気持ちを「理解する」ことも望んでいるのです。