御茶ノ水が舞台の「檸檬」
かつて歌は豊かだった
1978年3月28日発表、さだまさしソロの通算3作目のアルバム「私花集」に収録。
同年8月10日、シングルとしてアルバムからリカットされた「檸檬」。
梶井基次郎の同名小説からヒントを得て描かれたさだまさしの楽曲の中でもひときわ文学的な作品です。
梶井基次郎の「檸檬」の舞台は京都ですがさだまさしはその設定を東京都・御茶ノ水に移します。
湯島聖堂や聖橋、あるいはスクランブル交差点といった御茶ノ水の要所が歌詞の中に登場するのです。
御茶ノ水は明治大学やお茶の水女子大学を始めとする学生街でもあります。
そんな学生街を挫折した青春の躯(むくろ)が横たわる街として描く「檸檬」。
梶井基次郎から着想を得たとはいえ、さだまさし固有の文学世界が広がります。
かつて日本の歌の言葉はここまで豊かであったことに今さらながらめまいがする心境になるはず。
私たちが歌の世界から失くしてしまった本当の言葉をいま一度取り戻すためにこの曲を紹介いたします。
心を支配する不吉な塊
青春期の魂
梶井基次郎の「檸檬」の冒頭には主人公の神経や心を圧迫する不吉な塊への言及があります。
さだまさしの「檸檬」に通底しているメンテリティもまたこの不吉な塊に支配された風景です。
青春期に固有の触れやすい魂の変遷。
曖昧で暗い予感への畏れ。
私たちの魂は壊れ物ですからいつヒビを発しても仕方がないものだったと若い日を振り返ります。
感受性が豊かで生きてゆくにはあまりにもナイーブすぎる感性に支配されている男女の姿。
このカップルはとりたてて不幸という訳でもないのですが不吉な予兆に怯えています。
今、若くしてこの記事を読んでいらっしゃる方は配信サービスなどで「檸檬」を所望してください。
かつて若かった方々は往時の記憶を辿りながらこの記事を読んでいただけたら嬉しいです。
それでは歌詞を見ていきましょう。
檸檬は盗んだもの
色彩豊かな情景
或の日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす
出典: 檸檬/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし
著名かつ印象的な歌い出しです。
湯島聖堂とは東京都・御茶ノ水にある史跡。
徳川綱吉が建立した孔子廟です。
学問に携わる史跡ということもあり受験生にとっては合格祈願で馴染みのあるところ。
この歌詞で長年悩んでいるのは「君」は本当に檸檬を盗んだのか否かです。
梶井基次郎でさえ自ら買い求めた檸檬を手にして街を歩く設定。
しかし「君」は檸檬を盗んだというのは中々骨のある話。
前後の修辞的なものかどうなのかさだまさし本人に尋ねたいです。
おそらく「君」は檸檬を店頭で盗んでしまったのでしょうが。
若い頃の些細な気持ちでの窃盗というものを堂々と歌にする気骨はアーティストとしては冴えています。
色彩豊かな情景で視覚に訴える要素がたくさんある魅力的な歌い出しです。
レモンカナリアの幻
掟破りな文法
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀色の風が舞う
出典: 檸檬/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし
詩情に満ちたラインです。
「後で」「後で」と続く辺りの文法作法の掟破りはむしろ情景が印象に深く残る仕掛けになっています。
檸檬を手に取る「君」の指先や言葉の色気と妖艶さが辺りに漂うのです。
果汁が溢れる瞬間に風がすくわれて空に羽ばたくカナリアの姿を幻に視てしまうような一瞬。
カナリアにはその名も「レモンカナリア」などがいます。
鮮やかな黄色が特徴です。
「檸檬」の歌詞はどこまでも視覚に訴えます。