後述しますが、黒柳徹子さんの通った“トモエ学園”は現在あったとしても大変個性的な教育方針を貫く学校でした。

だからこそ、黒柳さんのような個性が摘み取られることなく伸びていったのでしょう。

そこで黒柳さんが学んだのは、個人個人“違う”というのはそれぞれが“自由”であって良いということでした。

そして、“大好き”な気持ちをもてるというのは“幸せ”なんだということでした。

胸が切なくなるほど大切な日々だった、黒柳さんにとっての“トモエ学園”で過ごした時間。

その時間が今の黒柳さんにどれほど素晴らしい経験であったかは、上記の歌詞を読んでいてもよくわかりますよね。


トットちゃんとトモエ学園

ここまで、福山雅治楽曲としての「トモエ学園」についてお伝えしてきました。

ここからは、この楽曲ベースとなっている黒柳徹子さん(トットちゃん)と、彼女が通っていた学校としての“トモエ学園”について少しだけご紹介します。

トットちゃんについて

ギネスにも載っている長寿番組『徹子の部屋』の司会者として知られる黒柳徹子さんは、1933年東京生まれの女優さんです。

愛称である“トットちゃん”は“テツコ”がうまく言えなかったことから、と言われています。

その超個性的な言動は幼少期からのもので、現在の小学校1年生にあたる“尋常小学校1年生”の時に何と小学校を退学になります。

そして両親が黒柳さんにぴったりの小学校を探した結果見つけてきたのが、今回ご紹介している楽曲のタイトルにもなっている“トモエ学園”なんですね。

トモエ学園でその個性を存分に伸ばし、優しく育った黒柳さんはその後、女学校や音楽学校に進学後、テレビ女優の第1号としてNHKから女優デビューをしたのです。

ただ当時はテレビと同じくらいラジオの比重が大きかったので、黒柳さんはテレビで女優だけをしていたのではなく、ラジオで色々なキャラクターの声を演じたりもしていました

まさに黒柳徹子さんは日本におけるテレビ黎明期からの“生き字引”と言えるかもしれませんね。


学校としての“トモエ学園”について

黒柳さんが小学校時代を過ごした“トモエ学園”は、東京都目黒区自由が丘にかつて存在していた実在の学校です。

学園の源流は1928年に創設された“自由ヶ丘学園”です。

トモエ学園がその名称で学園としての歴史を刻み始めたのは1937年であり、この学園は日本で初めてリトミックを取り入れた学校としても有名です。

“自由教育”をモットーに、子どもの個性を伸ばす教育に徹し、黒柳徹子さんをはじめとして卒業生には女優の池内淳子さんや物理学者の山内泰二さんなどが名を連ねています。

ただ、空襲の影響で廃止されていた小学校の部の廃止に続き、1963年に校長であった小林宗作氏の死去により幼稚園が休園してしまいます。

その後1978年に廃園届が受理され、トモエ学園はその歴史に幕を下ろすことになりました。

おわりに

2016年に一児の父となった福山雅治

それまでにも「家族になろうよ」などで家族的な楽曲は発表していましたが、父になって歌う「トモエ学園」には今までにないような力強さを感じました。

男性として、父として、これからより幅広くなるであろう福山氏の表現には期待が高まるばかりです!


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