今鮮やかなシンフォニー
七色シンフォニー
ひとりじゃ出せない音が
あることに気が付いたよ
泣いて笑って ドレミファソ
想い響き合うシンフォニー
出典: 七色シンフォニー/作詞:小幡康裕・あんにゅ 作曲:小幡康裕・あんにゅ
「君」と出会うことで、「僕」はあることに気が付きます。
それが一人だけでは出せない音。
自分一人では、できることや感じられることに限界があるのです。
「君」と一緒にいることで、一人では成し得なかったものができるようになったのでしょう。
さらに5行目から、感情も大きく動くようになったことも分かります。
色々な感情が「君」の感情とも混ざり合って、それが「音」になるのですね。
次にその「音」が積み重なると、音楽になります。
「シンフォニー」は「交響曲」という意味なので、二人の心が互いに混じり合っているのかもしれません。
要するに「僕」は「君」と出会うことで変わり、初めて今までなかった思いや感覚を感じるようになった。
「君」に対する気持ちが、「君」の気持ちと混ざり合い新しい心の動きを生み出しているのです。
その心の動きこそが、一人では出せない音なのでしょう。
「君」への想い
春の訪れ
白いため息は いつの間にか空に消えて
見上げれば 桜はピンクのつぼみをつける
僕は 巡り巡り巡り巡り巡ってく
喜びも切なさも背負って 春を待っている
出典: 七色シンフォニー/作詞:小幡康裕・あんにゅ 作曲:小幡康裕・あんにゅ
春の訪れを感じる歌詞から2番は始まります。
段々暖かくなって、桜の開花が迫ってくる時期のようです。
寒い冬から暖かい春への移り変わりは、ネガティブな心が前向きになっていくこととも結び付けられます。
しかしこの歌詞では、ただ春の訪れを喜んでいるだけではありません。
喜びと共にどこか悲しい切ない感覚も抱いているというのです。
これから華やかな季節になるというのに、心境は少し複雑な様子。
それは何故なのでしょうか。
冬が終わるという後ろ髪引かれるような感覚?
それとも季節の終わりと共に訪れる、次のステップに進まなければならない寂しさなのかもしれません。
君が笑うことで世界に色がつく
不思議だよ 君の笑顔は
モノクロームの街を
色鮮やかに 染めてゆくんだ
ねぇ 今この一瞬を抱きしめよう
僕らはここにいる
出典: 七色シンフォニー/作詞:小幡康裕・あんにゅ 作曲:小幡康裕・あんにゅ
「君」が笑うことで、「僕」にとっての世界は大きく変わります。
「君」の存在が「僕」を変えていっていることは、1番から何度も出ていることですね。
今まで「僕」が見る目の前の世界は、白黒に映っていました。
他の色が一切ない、寂しそうな世界。
辛い過去を忘れようとぐるぐるしていた時に、身の回りの景色が美しく見える筈がありません。
たとえそれをやめて前に進み始めたとしても、美しく見えなかったことでしょう。
この状況を変えたのが、大切な人である「君」だったわけです。
1番で太陽と称された「君」なのですから、やはり笑顔もただものではありませんでした。
笑うだけで世界が色づき始めるほどとは、相当な力といえます。
それだけ「僕」は「君」に惹かれているのでしょう。
今しか出せない音
空に花びらひらり
春色シンフォニー
今しか出せない音が
あることに気が付いたよ
君がいるから 笑えるよ
時を分かち合うシンフォニー
出典: 七色シンフォニー/作詞:小幡康裕・あんにゅ 作曲:小幡康裕・あんにゅ
一人では出せない音があるように、今この瞬間でないと出せない音があります。
過去でも未来でも、同じ音は出せません。
たとえ来年、再び春が巡ってきたとしても。
これは、「君」と一緒にいられるのが今しかないことを示唆しているような気がします。
これからすぐ、互いが一緒にいられなくなる時が来るのでしょう。
「君」の隣にいられる短いこの時間もまた、音楽になっていくのです。
君と僕のシンフォニー
「君」と「僕」は、一緒にいるだけで音楽が作れてしまいます。
本当に楽器を演奏するのではなく、過ごす時間や心の動きを音楽とたとえているのでしょう。
いったいそれはどんな音なのか、どんなメロディーなのかは本人達にしか分かりません。
ですが、少なくとも彼らにとっては神曲であることは間違いないようです。