「赤とんぼ」(赤蜻蛉、あかとんぼ)は、三木露風の作詞、山田耕筰の作曲による、日本の代表的な童謡の一つである。夕暮れ時に赤とんぼを見て、昔を懐かしく思い出すという、郷愁にあふれた歌詞である。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/赤とんぼ_(童謡)

そう考えると夕焼けの空を見ながら、恋人のことを思い出しているのだと考えられます。

景色は以前までと何も変わらずにそこにありますが、彼の心境は変化しているのでしょう。

あの頃と同じ色をした空でも、その状況によって意味は変わってくるものです。

夕焼けというものは、よくノスタルジーと結びつけられることがあります。

「赤とんぼ」を口ずさみながら、2人で見ていたそのオレンジ色。

2人で見ていた景色を、今では主人公独りで見ているのです。

その事実が彼の寂しさをより引き立てています。

いつの間にか独り

以前とは違う気持ち

あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない

出典: あの素晴らしい愛をもう一度/作詞:北山修 作曲:加藤和彦

2人でそんな風に夕焼けに染まる景色の中で過ごした時間。

いつまでも飽きずに2人で夕焼けの中を歩いていたのでしょう。

しかしながら、そんな永遠にも思える時間もいつの間にか終わりが訪れてしまいました。

いつまでも一緒に過ごせるような楽しさは薄れてしまったのだと分かります。

同じ夕焼けを見ながら、同じ気持ちでいられた2人ですが、今では同じ風景の中でも気持ちはばらばらです。

今では2人の心の距離は以前のように近くはないのだと分かります。

荒野に独りきり

広い荒野にぽつんといるよで
涙が知らずにあふれてくるのさ

出典: あの素晴らしい愛をもう一度/作詞:北山修 作曲:加藤和彦

ここでは自分にとって大切な人がいなくなってしまったという事実に孤独感を感じているのでしょう。

それはまるで、たった独りで荒野に立っているかのような寂しさ。

物理的な距離よりも、精神的な距離の遠さをより強く感じているのだと分かります。

過ぎ去ってしまった時間を考えて、その悲しみによって彼の目に浮かぶが荒野の地面に落ちていく。

自然とこぼれていく涙。

以前まで、悲しみの涙を拭い取ってくれていた彼女は隣にいません。

ただただ涙が溢れ、孤独を感じている様子が伝わってきます。

普遍的な愛

心の移ろい

あの時風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない

出典: あの素晴らしい愛をもう一度/作詞:北山修 作曲:加藤和彦

1行目でいう「風」というのは、2人の間に入り込もうと妨害する物事を指しているのでしょう。

どんなに強い「風」が吹き荒んでも、想いが変わることはないと思っていた。

けれど、今ではそう言い合っていた2人は離ればなれになってしまっています。

お互いの想いを何度も確かめ合っていたはずなのに、それも今では過去のこと。

時の流れはあらゆることを変えていくのだと実感させられます。

このパートでは、人間の心というものの移ろいやすさが表現されているのでしょう。

時代を越えて残り続ける

あの素晴らしい愛をもう一度

出典: あの素晴らしい愛をもう一度/作詞:北山修 作曲:加藤和彦

楽曲の最後でも繰り返されるこのタイトルと同様のワンフレーズ。

移ろいやすい気持ちを受け止めながらも、彼女の想いが戻ってくることを願わずにいられないのでしょう。

人の想いというものは願っても手に入るものではありません。

しかしながらそれでも、あの大切だった時間を取り戻したいと思ってしまう。

それはその時間が彼にとって本当に幸福だったことを表しています。

1度過ぎ去った時間というのは、戻ってこないからこそ美しいのかもしれません。

愛というものがもたらす感情は、他の感情では代用できないもの。

だからこそ、その愛を失った時には埋めようのない穴がぽっかりと心に空いてしまうのです。

そしてまた欲してしまう。

悲しみや切なさを通り越して、人間というものの欲深さのようなものを感じます。

愛というものがたとえ一過性に過ぎなくても、私たちはいつも心のどこかで求めてしまうのです。

何故なら、その感情がもたらす素晴らしさを知っているから。

この楽曲で歌っていたのはどの時代でも普遍的であり続ける愛という感情の素晴らしさ切なさでした。

人間の変わらない根底を描いたその歌詞の世界。

だからこそ月日が経っても、世代を超えて様々な人から支持を受けているのでしょう。