引き裂かれた親子

戦死を受け入れられず

とどかぬ願いと知りながら

出典: 岸壁の母/作詞:藤田まさと 作曲:平川浪竜

夫も娘も急逝していた端野いせさんにとって、息子さんが唯一の身内。

かけがえのない存在なのです。

心の拠り所があるからこそ、人は強くなれるもの。

端野いせさんは、息子の存在を励みに、1人で生計を立てていたのではないでしょうか。

しかしながら、舞鶴の岸壁に何度も足を運ぶ中、少しずつ膨らんでいく不安…。

息子は死没しているのかもしれない。戦死しているから、帰ってこないのだろうか。

認めたくないことが頭を駆け巡ったのかもしれません。

その中で厳しい現実と共に、自身の”願い”が成就しないことを実感したのでしょう。

”願い”は、至ってシンプル。

我が子と再会することです。

けれど、戦争という理不尽な事象は、それを許しません。

戦争で我が子と離れたら、二度と会うことができない。

戦時下の宿命が1行の文章から推測できます。

心と身体は裏腹

もしやもしやにもしやもしやに
ひかされて

出典: 岸壁の母/作詞:藤田まさと 作曲:平川浪竜

いつまでも息子さんが帰還しない状況下。

端野いせさんは、心が張り裂けそうになったのではないでしょうか。

それでも、引揚船が入港する情報を入手すると、自然と舞鶴の岸壁に足が向いたのかもしれません。

どれだけ空振りに終わっても、一縷の望みがある限り。

「もしかすると願いが叶うかもしれない」という期待に心惹かれて、身体が動くのでしょう。

”もしや”と呟きながら引き揚げてきた兵士を見つめるものの、息子さんを視認できず失意の底に…。

傷つく可能性を理解しながらも、岸壁に来てしまう端野いせさんの心情を読み取れます。

望み薄の状況が続き

せめて声だけでも

呼んで下さいおがみます
ああおっ母さんよく来たと

出典: 岸壁の母/作詞:藤田まさと 作曲:平川浪竜

両親と抱き合う引揚者。子供と妻に笑顔を見せる復員兵。

それぞれが歓喜する光景は、端野いせさんの胸をさらに締め付けます。

我が息子よ、一体どこにいるのか?いつものように”おっ母さん”と呼んでほしい!

悲痛な叫びを1行目の”呼んで~”が表しているようです。

たとえ姿かたちが見えなくとも、声を聴くだけで端野いせさんの心は救われたのかもしれません。

それだけ、息子さんに対する愛情が深く、強いのです。

昭和20年8月15日、ポツダム宣言が受諾され、太平洋戦争に終止符が打たれました。

しかしながら、端野いせさんの中では、終わりを迎えていませんでした。

どこかで生存している可能性がある息子さんと再会するまで、戦いが続いているのです。

たとえ、行政機関から戦死を告知する書類が届いても…。

1行目の”おがみ”から は、藁にも縋る思いで必死に拝む端野いせさんの横顔が連想されます。

神様への愚痴

海千山千と言うけれど
なんで遠かろ
なんで遠かろ母と子に

出典: 岸壁の母/作詞:藤田まさと 作曲:平川浪竜

歌詞に配された”海千山千”。

したたかな人柄を揶揄する場面で使われる熟語です。

世の中の隅々まで知り尽くした一筋縄ではいかない人を指していて、決して誉め言葉ではありません。

これは、ちっとも願いを叶えてくれない神様への恨み節

戦時中、出征軍人の家族の間では、神社で兵士の生還を祈願する習慣が定着していました。

きっと、端野いせさんも他の家族と同様に足しげく神社に参拝したことでしょう。

けれど、その苦労も空しく、吉報が届きません。

神様は全部お見通しなのでは?全知全能と誇るなら息子を私の元へ帰してください!

恨めしい想いから”海千山千”という言葉を神様にぶつけているのではないでしょうか。

繰り返される”遠かろ”が深い深い切なさを強調しています。

何故こんなにも母子が離れ離れにならなければならないのか。もう成す術が無い。

絶望の淵に立たされている様子が思い浮かびます。

死に際まで悲哀を引き連れ

神様にも誰にも理解できない