影絵のような龍の登場
夜は龍になって
星の透き間を泳いで
誰も知らない姿をうねらせて
山を掴んで 海を食べて
ここは私だけの場所
私だけの私
出典: 龍/作詞:岡崎体育 作曲:岡崎体育
少年が布団をかぶると、夜空に影絵のような龍が登場します。
その龍が、本当に星のあいだを泳ぐかのように動くところがお見事です。
少年は灯かりを消したものの、まだ眠りにはついていなかったのでしょう。
起き上がって何やら飲み、夜空を見上げる場面もあります。そのとき夜空に龍の姿はありません。
つまり、少年が龍になって泳いでいた……ということでしょう。
「龍になって泳ぐ」という抽象的な表現に込められた意味が気になります。
夜は自分と向き合う時間
そもそも龍は伝説とか神話に登場する想像上の生き物です。実際に存在する動物ではありません。
そんな想像上の生き物である龍になるということも想像。想像を膨らませるという意味でしょう。
山や海をつかんだり食べたりする動物も、実際には存在しません。
しかし絵本や昔話ならあり得る話。なぜなら想像上の物語だからです。
岡崎体育少年は夜、消灯後にいろいろ想像していたのでしょう。
その想像こそが自分の居場所であり、その時間は自分らしくいられると感じたに違いありません。
龍になって空を泳ぎ、山や海をつかみ食べる…といった想像は創造につながったことでしょう。
音楽を創造する原点は少年時代の想像にあった……そんなお話のようです。
想像は癒しになる?
痛みを感じていた?
うろこは剥がれ落ち
ぼろぼろになっても
痛みに名前はない
時に癒されていくだけ
出典: 龍/作詞:岡崎体育 作曲:岡崎体育
少年はベッドに寝そべった状態で本を読んでいます。そのうち布団をかぶって眠ったのでしょう。
ベッドも少年も部屋も海も夜空も、溶けて龍になります。しぶきを上げながら暗闇の中を泳ぐ龍。
どうやら、うろこが剥がれ落ちている様子が描かれているようです。
身を削るような思い……という表現がイメージに近いでしょうか。
やはり、岡崎体育少年は読書によって様々な想像をしていたのでしょう。
もしかしたら何らかの痛みを感じていたのかもしれません。
体ではなく心の痛み……。
ボロボロに傷つくことがあっても、夜にいろいろな想像をすることで癒されていたようです。
この心の痛みには名前なんかない……といった思いが支えになったのかもしれません。
夜、龍になって泳ぐという自分の居場所があることで、悲しみに耐えることができたのでしょう。
あふれる愛に涙
寂しかったの?
寂しい心を持つと
偏った成長を遂げてしまうもの
あなたには愛がある
出典: 龍/作詞:岡崎体育 作曲:岡崎体育
失礼ながら、まさか岡崎体育さんの曲を聴いて泣く日がやってくるとは想像できませんでした。
それくらい愛にあふれた歌詞や歌声になっています。ほとんど母性のかたまりと言えるでしょう。
母親が子供を包み込むような大きな愛。岡崎体育さん自身が偉大なる母のようという話です。
しかも岡崎体育さんの口から「偏った成長」という言葉が出ると、非常に重みがあります。
MVでは眠っていた少年のかたわらでスマホらしきものが光り、目を覚ますという展開。
おそらく少年時代、岡崎体育さんはたくさん寂しい思いをしたのでしょう。
ただ「龍になる=想像する」という自分の居場所があったから、寂しさは解消されたということ。
寂しさをネガティブな感情に発展させるのではなく、愛に昇華することができたわけですね。
ここで号泣せずにいられましょうか。
音楽制作の風景だった
誰も知らない岡崎体育
夜は龍になって
星の透き間を泳いで
誰も知らない唄をつくろう
樹々をなぞって
朝を捜して
ここは私だけの場所
私だけの私
出典: 龍/作詞:岡崎体育 作曲:岡崎体育
目を覚ました少年はスマホではなく夜空を見上げ、ヘッドホンをつけパソコンに向かいます。
龍が泳ぐ夜空、ベッド下の海に流れてくるピアノ……。
やはりというか、どうやら音楽制作をする岡崎体育さん自身を描いたアニメ映像だったようです。
しかも少年時代とは限らず、大人になった岡崎体育さんも重なっていたのかもしれません。
映像でピアノを弾き始めると、実際のピアノの音色とぴったり合っているところが印象的。
空が白み、朝が近づいていることがわかります。岡崎体育さんは夜通し音楽をつくるのでしょう。
実際に誰も知らない、岡崎体育さんならではの歌になっている「龍」。
ド直球のバラードで勝負した、本気モードの岡崎体育さんに心を打たれた人も多いでしょう。