うす紅が表す心は
同じ色を見ている二人
うす紅色のシクラメンほど
まぶしいものはない
恋する時の君のようです
木もれ陽あびた君を抱けば
淋しささえもおきざりにして
愛がいつのまにか歩き始めました
出典: シクラメンのかほり/作詞:小椋佳 作曲:小椋佳
うす紅色のシクラメンに場面が変りました。紅色は『くれないいろ』とも読みます。
紅という文字だけを見れば、色のイメージは何となく浮かびます。
でも赤っぽい、などという雑な表現では表せません。紅色には歴史があります。
紅色(くれないいろ、べにいろ)は、キク科の紅花の汁で染めた鮮やかな赤色のこと。単に「くれない色」や「べに色」と言う場合もあるが、表す色に違いはない。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/紅色
化学染料の無い時代は、布などを染めるのはすべて天然染料。
その中でも紅色を作る紅花(べにばな)染めは、時間を掛けて作られる色。
それ故に希少価値のある人気色でした。目立つ色ですが悪目立ちはしないのでご心配なく。
気品ある色だからこそ、赤ではなく紅と名付けられました。
紅そのものよりうすいのであれば、ピンクや桃が当てはまりそうですね。
そうではなく『うす紅色』とビジュアルを文字化できるのが、小椋佳さんの世界です。
二人の心の色
柔らかさを持った白から始まった恋は、二人の心を優しい紅色に染める進展を見せました。
現代であれば、はしゃいだ自分を抑えつつも、ハートマークを送り合う状態ですね。
仕事や学校帰りの時間では無いことも分かります。
いつもと違う時間と場所で二人は逢っています。
太陽の下で笑顔を見せあえる恋は、シクラメンの色なんて忘れているのかもしれないですね。
カギとなるもう一つのフレーズ
疲れを知らない子供のように
時が二人を追い越してゆく
呼び戻すことができるなら
僕は何を惜しむだろう
出典: シクラメンのかほり/作詞:小椋佳 作曲:小椋佳
シクラメンの淋しさ
シクラメンの花の色を、独自の感覚で表した言葉に合わせて、歌詞の中でもう一つ心に残るフレーズがコレ。
『疲れを知らない子供のように』は、時間が過ぎる速度を詩的に表現しています。
この歌詞の部分は最後にもう一度出てきます。解説はもう一色のシクラメンの後にしたいと思います。
振り返るとそこにある花びらの色は?
背中を見せたシクラメン
最後の色が示すものは
うす紫のシクラメンほど
淋しいものはない
後ろ姿の君のようです
暮れ惑う街の別れ道には
シクラメンのかほりむなしくゆれて
季節が知らん顔して過ぎてゆきました
出典: シクラメンのかほり/作詞:小椋佳 作曲:小椋佳
最後のシクラメンは『うす紫』です。3色とも原色ではないトーンを落とした色。
パステルや透明の水彩絵の具でそっとのせた色が、選ばれました。
最後の紫は原色ならインパクトがある色。
そこに白を混ぜていくと一般的には藤色と呼ばれるうすい紫の色が出来上がります。
ピンクのハートを思わせるようなシクラメンはここにはありません。
淋しさを独りで抱くしかない自分だけが取り残されました。
優しさをちらつかせるように『真綿→うす紅→うす紫』と色を変えたシクラメン。
愛の一歩手前で花は途切れてしまいました。