布施明って?
日本の男性シンガーの中でも群を抜いて一際目立つ存在でもある布施明。
その歌声は、どんなにふさぎ込んだ人も笑顔にできる力強くて美しい旋律を日々、響かせることができます。
日本の歌謡界のキング、布施明。
いったい彼の人生は、彼の歩んできたシンガーとしての道は、どんなものだったのでしょうか。
外側からみると、本当に華々しい人生のようにみえます。
しかし、彼の人生の裏側は果たしてどうだったのでしょうか。
では、どんな人生だったのか、布施明の歌声から推理していきます。
デビューしたのはいつ?
高校在学中に日本テレビ系のオーディション番組『味の素ホイホイ・ミュージック・スクール』に合格。渡辺プロにスカウトされる。
1965年、「君に涙とほほえみを」でキングレコードからデビュー。1969年、TBSテレビのドラマ『S・Hは恋のイニシャル』では俳優として主演した。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/布施明
ザ・ピーナッツに憧れて彼がデビューしたのは、まだテレビが白黒の時代の1965年でした。
そんな古い時代からのデビューなんて案外、意外です(笑)。
考えてみれば、この記事をみているほとんどの読者のおじいちゃんくらいの年齢なんだということです。
そうです。今も、それだけ彼は実年齢よりも若々しく見えるということです。
では、彼のヒットソング「マイ・ウェイ」とはいったいどんな楽曲だったのでしょうか。
「マイ・ウェイ」って?
「マイ・ウェイ」は、学校の教科書にも必ずといっていいほど出てくる有名中の有名楽曲です。
世界で、カバーされた楽曲の中で最も数が多いランキング2位です。
ちなみに1位はビートルズの「イエスタディー」です。
知らないという人はいないといっていいほどの有名楽曲「マイ・ウェイ」。
「マイ・ウェイ」は誰が訳詞したの?
日本語の訳詞には、岩谷時子による訳詞(「やがて私もこの世を去るだろう〜」)、中島潤による訳詞(「今船出が近づくこの時に〜」)をはじめ、何種類かのバージョンがある。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/マイウェイ
Wikipediaでも紹介している通り、布施明がカバーした「マイウェイ」は、中島潤という人が訳詞をしています。
中島潤がどんな人だったのか興味深いですが、ほとんど現在でも残されている資料がないので謎に満ちています。
検索して調べたところ、「マイ・ウェイ」が大ヒットした頃に中島潤という名前の人が、歌手として歌っているYouTubeがあります。
筆者が察するにどうやらこの人のようです。
「マイ・ウェイ」の歌詞の意味とは?
「マイ・ウェイ」の原曲は、クロード・フランソワのフランス語の歌で「Comme d'habitude」です。
その楽曲を改めて英詞し直したのがポールアンカの「マイウェイ」でした。
「そして、今もなお
終わりはここにいつも存在しているのかもしれない
そして、私は直面するのだろう
最後をめくるカーテンを
友よ、私は断言できる
私の生きてきた私のケースを
私が選んできた確かな道を
私は、私の人生を精一杯生きてきた」
最後をめくるカーテンとは、フランクシナトラであるからこそできる表現であると考えられます。
最期のシーンという意味でしょう。
ポール・アンカの歌詞の表現は、巧みで面白いです。
では、ポールアンカはこの歌詞をいったいどういうテーマで作ったのでしょうか。
主人公の男性が、自分の死が近付く中、自分の人生で起こったすべての苦難に対して行ったことについて、後悔せず自信を持っている、と語る内容である。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/マイ・ウェイ
Wikipediaでは「マイ・ウェイ」の原曲は、死ぬ間際のとき、主人公がどのように人生を思い返すのかということをテーマにしています。
今 船出が近づく この時に
ふとたたずみ 私は振りかえる
遠く旅して 歩いた若い日を
すべて心の 決めたままに
出典: マイ・ウェイ/作詞:THIBAUT GILLES 作曲:FRANCOIS CLAUDE
対して、布施明の「マイウェイ」の歌詞は、人生の船出、出発をテーマにしています。
このため「マイ・ウェイ」は、アメリカや海外ではお葬式などの時に使われています。
また、これに対して日本では結婚式やおめでたい席で使われるようです。
どちらも素敵な歌詞ですが、同じ楽曲で訳詞が変わるだけでこんなにも大きく変わってしまいます。
言葉がどれだけその楽曲に重要なカギを握っているかがわかります。
また、布施明の「マイ・ウェイ」の作詞作曲の欄は、フランス語の原曲の作家の名前が載せられています。
このことからも、布施明の「マイ・ウェイ」は、ポールアンカの歌詞の和訳で作られたのではないと考えられます。
つまり、全く新しく日本語として作られた歌詞ではないかと捉えることもできます。