ひとつやふたつじゃないの
ふるきずは
噂並木の堂島 堂島すずめ
こんなわたしで いいならあげる
なにもかも
抱いてください あゝ大阪しぐれ
出典: 大阪しぐれ/作詞:吉岡治 作曲:市川昭介
この歌の主人公は別れを受け入れながら、やるせない思いにさいなまれています。
別れのあとの乱れた思いについてみていきます。
ふるきずとは
主人公のいう「ふるきず」とはどんなものなのでしょうか。
一般的には、過去の男女関係でのできごとを指すことがあります。
清濁を合わせ飲んできた生き方をいうこともあるでしょう。
今まで重ねてきた世間への不義理も含んでいるのかもでいるのかもしれません。
そんなふるきずが、ひとつやふたつ、それ以上に思い当たるというのです。
主人公はそれなりの年齢の女性であることを示しています。
いくつかの恋、社会での裏や表の出来事、そんなものを繰り返してきた主人公です。
主人公は諦めを体で知っています。
やさしさと強さを持った女性であることがしみじみ読み取れるフレーズです。
堂島すずめとは
演歌などではよく「すずめ」が登場します。
社会の枠の中で、ちゅんちゅんと小さく鳴きながら自分の範囲で生きている人間の比喩です。
ひとの噂があちらこちらで飛び交う堂島で、ひしめきあって人は生きています。
その様子を、「並木」で群れあっている小さなすずめに例えています。
決められた範囲の中で懸命に生きる人間の運命のもどかしさが感じられます。
主人公はどんなひと
ここまでの歌詞から、主人公は夢をいっぱい背負った若い女性ではないことが読み取れます。
それなりに経験を積み、楽しいこともあきらめも頭と体で理解した大人の女性でしょう。
大人ゆえに、呑まねばならぬ不条理や悲しみを知っている女性です。
ひとが誰しも生きていく中で向き合わねばならぬ悲しみを主人公がしっかりともっています。
そんな主人公の物語ゆえにこの歌はたくさんのひとのこころを惹きつけるのではないでしょうか。
離れていったひと
しあわせ それともいまは
ふしあわせ
酔ってあなたは曾根崎 曾根崎あたり
つくし足りない わたしが悪い
あのひとを
雨よ帰して あゝ大阪しぐれ
出典: 大阪しぐれ/作詞:吉岡治 作曲:市川昭介
あのひとは雨の向こうへ行ってしまいました。
主人公は離れていったあのひとのことを考えています。
彼を思いながら、主人公は自分の気持ちにどのように折り合いをつけるのでしょうか。
問いかけはだれに
自分はしあわせなのだろうか、ふしあわせなのだろうか。
誰しも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
毎日、食事をして洋服を着て通常の日常生活を送れることは幸せでしょう。
しかし、あのひとを失ってしまった今のわたしは「ふしあわせ」なんだろうかと考えます。
ここでも、この歌が生まれた時代背景が関係しているようにみえます。
1980年代、貧しかった日本が高度成長期に入り世間はみんな、物のあるしあわせを享受していました。
そんな中、好きなひとを失った自分はほんとうにしあわせなのだろうか。
主人公は戸惑っているように感じられます。
食べるに困らないしあわせと、愛するひとを失ってそれでも生きていかねばならぬふしあわせ。
そのはざまで主人公は自問しているのです。
主人公は世間に、そして自分に自分の境遇について占うような気持ちで問いかけているのではないでしょうか。
あの人はどこへ
別れたあとのあのひとの行き先を主人公は案じています。
お酒に酔った足で彼はどこに向かったのだろうかと思いを巡らせるのです。
曾根崎は北新地から歩いていける範囲で、こちらも飲食店の並ぶ場所とされています。
「曾根崎あたりの別のお店にいったのかしら。」
もっといえば
「別の女性のところに向かったのかしら。」
主人公はそんなことを案じているのかもしれません。
別れた男性がどこにいこうと自由です。
無意識に相手の行き先を詮索してしまう自分のクセに悲しくなります。
案じても仕方のない別れた男性の行き先を考えてしまう。
そんな虚しさを女性なら経験したことがあるかもしれません。