日本を代表するロックスター!
永ちゃんこと矢沢永吉さんは、まさに日本を代表するロックシンガー。
数々のドラマ、映画、CMに起用され、矢沢さんの歌は誰もが必ず耳にしたことのあるはず。
ライブでタオルを使ったパフォーマンスなども有名で、幅広い年齢の熱狂的なファンから絶大な人気を得ています。
また説得力の強い名言を残していることでも有名です。
苦労を重ねて目指した「ロックスター」になるまで
幼少時代の苦労
日本のロックスターとして誰もが知る存在になった矢沢さんですが、有名になるまでにはたくさんの苦労を重ねてきているのです。
1949年の広島生まれである矢沢さん。3歳のときに母親は蒸発、父親は小学生2年生で亡くなり、親戚をたらい回しになってから、やがてお祖母さんに育てられました。
そして貧乏な生活であることを原因に、近所の子達からいじめられてしまいます。
苦しい経験をしたことで、自分は「ビッグになる」と思うようになったそうです。
渋さと、時にどこか哀愁を漂わせる矢沢さんの男らしく力強い音楽は、きっと苦労を重ねた経験を糧にして生まれてきているのですね。
ビートルズに影響を受けて
矢沢さんが中学生の時、ラジオで「ザ・ビートルズ」の曲を聴いたことでロックに夢中になり始めました。
高校を卒業した後、故郷・広島から上京することに。
列車に乗って東京駅へ行く予定だったところでしたが、ビートルズがリバプールというイギリスの港町出身だったということもあり、目的地を変更して横浜で降りてしまったとか。きっとピンと何かを感じたのかもしれませんね。
そして、この港町・横浜から矢沢さんの音楽活動は始まりました。
バンド結成から衝撃の解散ライブ。そしてソロ活動へ
横浜でアルバイトをする傍ら、バンド「ヤマト」を結成し、デビューを目指していたものの、事情のため解散。
その後、張り紙でメンバーを募り、新たなバンド「キャロル」結成しました。
この時代、ロックは世間から不良扱いを受けたジャンルで、あまり大々的に活動ができませんでしたが、キャロルの存在は後に日本のロックを変えることとなります。
また、ロックスターのイメージである象徴的な姿のリーゼントや革ジャンもキャロルから始まったようです。
キャロルはまず横浜を始め、東京各地のナイトクラブなどで活動を広げていきます。
そして、フジテレビ『リブ・ヤング!』という企画にメンバーがハガキを送ったところ断られたために、納得いかなかった矢沢さんが怒って担当者に電話をかけ、その後何度もデモテープを送り続けたことで出演が決まったそう。粘り勝ちですね。そこからメディアへの露出が増え、各レーベルからの声もかかります。
そして、1972年。キャロル結成から3ヶ月程度で「ルイジアンナ」でデビューを果たします。それから毎月連続でシングルを発表。コンサートも常に満員。急速に人気を獲得していきました。
キャロルは1975年に解散することとなりますが、日比谷野外音楽堂で行った解散ライブで演出用の火が「キャロル」の電飾に燃え移って焼け落ちてしまうという、とんでもない衝撃的なラストで幕を閉じました。
キャロル解散後、矢沢さんはソロ活動を始めることになりました。
永ちゃんといえば!
日本の音楽界を変えた独特な歌い方
ビートルズのようなロックとは違い、日本語はロックのメロディにのらないと思われていました。
しかし、矢沢さんは独特な歌い方をするようになります。それは巻き舌で日本語を英語っぽく発音すると、日本語でもロックのメロディとぴったりくる、ということ。
これをキャロル時代で矢沢さんが証明し、日本語とロックはズレを生じるという価値観を覆して現在の日本のロックを確立したと言われています。
この画期的な歌い方は、現在人気を集めるシンガー達にも大きな影響を与えました。