暗い夜から抜け出そう

Halo at 四畳半【リビングデッド・スイマー】MVの内容を徹底解説!誰だって磨けば光るはず!の画像

1人で過ごす切ない夜に聴きたい、Halo at 四畳半の『リビングデッド・スイマー』。

人が光を追い求めて生きるのは、きっと自らがその光になりたいと願っているからでしょう。

暗い夜も、自分が持つ輝きで道を照らしていける。

そんな存在になれたなら、夜を怖がらずに済むかもしれません。

しかし、光は追いかけても追いかけても、遠いまま。

やっぱり、自分は暗い夜の世界から抜け出せないのではないか……。

そうして途方に暮れても、この曲が寄り添ってくれるでしょう。

光はすでに自分の中にあるのだと、気づかせてくれるはずです。

この曲と共に、暗い夜の世界から抜け出してみませんか?

生死が曖昧な世界

『リビングデッド・スイマー』のMVでは、夜の街が幻想的な光で包まれています。

これにはいったい、どんなメッセージが隠されているのでしょうか。

失われた心を探し彷徨う

そもそも「リビングデッド」とは、”生きた死体”という意味です。

MVが幻想的な世界観でつくられているのは、生死の境を曖昧に見せるという意図があるのかも。

だとすれば、このMVに登場する少女は、生死を彷徨っている者という考察ができますね。

自分が生きているのか、死んでいるのかも分からないまま、暗い世界を泳ぐように徘徊する。

だから、『リビングデッド・スイマー』というタイトルがつけられているのでしょう。

そして、この曲における生死は、おそらく肉体的なことではなく、精神的なこと。

肉体が生きていても、心が死んでしまえば、それは完全なる生者とは呼べません。

MVの中の少女は夜の街で、失われた自分の心を探しているのではないでしょうか。

夜の街、つまり暗い世界とは、心を失くした少女が見ている景色と考察することもできそうですね。

マネキンが意味するもの

MVでは、ショーウィンドウに入れられたマネキンが度々映し出されます。

どうやらこれにも、深いメッセージが隠されている様子。

マネキンが意味するものについて、解説していきます。

生者の振りをする

この曲で歌われている「継ぎ接ぎだらけの身体」という歌詞

これは、死体を生きているように見せかけている、という意味に捉えることができるでしょう。

本当は死んでいるのに、生者の振りをしなくてはならない。

MVの中では、それをマネキンが表現しているのかもしれません。

マネキンは、洋服を着せられているだけのただの人形。

当然、感情もなければ命もありません。

MVで少女がマネキンの横に並んでいるのは、心を失くした自分とマネキンを重ねているからなのでしょう。

しかし少女は、ショーウィンドウの中から逃げ出して、自分の心を探しにいきます。

ショーウィンドウは、私たち1人1人が閉じ込められている孤独を意味しているのかもしれませんね。

自分の意志で生きていく

マネキンは、洋服を着せられている人形。

それは、自分の意志で生き方を選べない人々の比喩とも捉えられます。

思考を放棄し、誰かの言いなりになって過ごす毎日。

そんな生活は、本当に生きているといえるのでしょうか。

自分の頭で考え、自分の意志で生きる道を選ぶ。

それが命ある者の生き方でしょう。

私たちは、洋服を着せられている人形ではない。

それを証明するためにも、私たちは自分の意志というものを常に持っていなければなりません。

少女が終始、物憂げな表情をしているのは、自分の意志をまだ見つけられずにいるからなのでしょう。

自分は何者で、何のために生きていくのか。

それが分かったとき、少女はようやくマネキンから、生きた人間になることができるのかもしれません。

ぼやけた景色と無数の光

MVに映る夜の街は、常にぼやけて見えます。

ピントの合わない景色というのは、なんだか少し不安になりますね。

誰もが「リビングデッド」になっている