今では二人からだ
寄せても愛は哀しい
何かがこわれ去った
ひとときの甘い生活よ
出典: 甘い生活/作詞:山上路夫 作曲:筒美京平
惰性という名の「情」
燃えるような愛が無くなってしまっても、からだを寄せ合う二人。
喧嘩したわけでも、嫌いになったわけでもない、ということが分かります。
そこにあるのは惰性という名の「情」。
もう、愛情にも、友情にも戻れません。
いっそ、もう顔も見たくない!というほどの大げんかをして嫌いになれたら…スッキリしそうですが。
家族、恋人、友達、知り合い。
どんな関係にも属せない二人に残された絆は「情」だけなのです。
「甘い」にかけられた二重の意味
タイトルにもある「甘い」という表現。
もちろん、sweetという意味の「甘い」ではあるでしょう。
恋する二人の甘いひととき。
しかし、そこにはもう一つの「甘い」が潜んでいるように思えます。
それは、世間知らず、という意味の「甘い」。
「君は考えが甘いね」なんて使い方をしますね。
付き合っているだけの時には気づかなかったこと、見えなかったことが、見えてくる。
同棲の良さばかりを夢に見て、生活を共にする覚悟ができていなかった。
そんなところでしょうか。
部屋に残るあの日の思い出
土曜の夜には あなたを誘って
町まで飲みにも行ったよ
なじみのお店も この町はなれりゃ
もう二度と来ないだろ
壁の傷はここにベッド
入れた時につけたもの
出典: 甘い生活/作詞:山上路夫 作曲:筒美京平
二度と訪れることのない町
リセットするには、なじみ過ぎた町。
そこかしこに、二人の時間のかけらが落ちていて、ふとした瞬間に思い出してしまいます。
すべてを忘れるために、町を出て心機一転するのが一番なのかもしれません。
「二度と来ない」なんて強がってみせるのは、まだこの恋を忘れることができないから。
壁の傷にも思い出す愛の日々
「ベッド」が二人の関係を象徴するアイテムとして表れています。
はじめに出てきた「揃いのモーニング・カップ」と同様ですね。
壁の傷をそっとなぞる指先は、少し震えているかもしれません。
―ベッドは、どこに置く?こっち?いや、もっと日当たりの良い方がいいんじゃない?
なんていう会話まで思い出したりして、切なくなったりするのでしょうか。
心の傷が疼く
今ではそんなことも
心に痛い思い出
何かがこわれ去った
ひとときの甘い生活よ
出典: 甘い生活/作詞:山上路夫 作曲:筒美京平
壊れたものは何だったのか
形のあるものは、いつか壊れてしまうもの。
それでも、形のあるものは壊れてしまっても「あった」という事実は残ります。
たとえガラス片でも、欠けたカップでも、ゆがんだ指輪でも、そこに物質が残るから。
でも、「愛」や「夢」なんていう形のないものは、壊れてしまったらどうなるのでしょう。
きっと残骸も拾えず、いつしか記憶のかなたに消えて行ってしまいます。
忘れなければ、と思えば思うほどかえって傷口をえぐってしまうのが、失恋の痛みです。
もしかして、今はその痛みさえ、二人の愛し合った証にも見えているのかもしれません。
夢のあとには
二人の甘い生活は過ぎてしまえば、「ひととき」というほどの短い時間でしかありませんでした。
それでも、きっと濃密な時間であったことでしょう。
そうでなければ、こんなに痛みを覚えることはないでしょうから。
ひとつ救いがあるとすれば、思い出したときに「つらい生活」と表現しないところです。
思い出は美化される、とも言われます。
あのときの事を「甘い」と覚えていられたら、それはそれで幸せなことかもしれません。
愛し愛された記憶は、きっと二人のその後を温め続けることでしょう。
だれかと出会い、また、恋をするために。