「欅坂」の遺産を超えて
生き方を改めようなんて
できるわけないって逃げるのか?
いつのまにか大人になっちまったんだ
言い訳ばっかでうんざり
出典: Nobody's fault/歌詞:秋元康 作曲:デレク・ターナー
欅坂46として、グループが、そしてメンバーの一人ひとりが残してきたものはたいへん大きいのは事実です。
ですが、それにとどまっていてもいいのでしょうか?
昨日より今日、今日より明日。人は成長を求められます。誰よりも、自分自身にとって成長が必要です。
欅坂を超えて更に大きなグループとなるためには、生き方を改めるような改革を自分に課さねばならないのです。
また、この部分は、聴き手の方に対して訴えている部分も大きいかと思います。
生き方を変えない言い訳ばかり上手い大人になることを許さないというメッセージではないでしょうか?
解釈は違っても、最終的に訴えていることは同じです。「生き方を改める」ぐらいの改革が必要なのです。
過去を悔やむより、未来に歩みを進めよう
泣き言なんか聞きたくもねえ
どんなに悔やんでも 叫んだって……
やるか? やらないのか? それだけだ
もう一度 生まれ変わるなら
No! No! No! 綺麗事を言うな
洗っても洗っても落ちない泥だ
それでも生きる 強さを信じろ
No! No! No! Nobody’s fault
出典: Nobody's fault/歌詞:秋元康 作曲:デレク・ターナー
泥だらけになって打ちひしがれ、膝をついてしまうほど痛めつけられる――そんな挫折は誰にもあります。
ですがそれに甘んじて過去を振り返り、嘆いているばかりでは、進歩も再起もありません。
まず、立ち上がって歩き出さないといけません。そう、まさに「生まれ変わる」ために。
時には汚名を着ることもあるでしょう。一度背負ってしまった悪評は決して完全に拭うことはできません。
打ちひしがれても、泥だらけになっても、再び立ち上がり歩き続ける強さこそが必要なのです。
「集団を構成する個人」として
どんなに深い森も一本の木が集まってできているんだ
風が吹けばわかるだろう Yeah
光と影は何度も重なり合い 大きな森になるのさ
自分の(自分の)せいにもするな Wow
出典: Nobody's fault/歌詞:秋元康 作曲:デレク・ターナー
歌詞はここまで、誰でもない自分自身の「個人としての力」を訴えています。
ですが物語はここで、社会の中での個人のあり方を問うものに変わってきます。
個人の力は重要ですが、最初に触れられたように、個人が個人のままでできることには限界があるのです。
一人ひとりの力が結集して大きな森のような力を発揮することが必要となります。
ですが、そのために個人の存在を殺してしまうのでは本末転倒です。
個人としてのあり方を保ちつつ集団として力を合わせる意味。それは逆風が吹いたときにわかります。
互いに重なり合い、時には葉擦れのようにぶつかり合いつつも、支え合って風に立ち向かう力になる。
それが社会の中に生きる人としてのあり方といっていいでしょう。
これは、欅坂時代にはなかった新しいメッセージです。
また、一人ひとりの個性が集まってパフォーマンスを生むアイドルグループのあり方にも通じるものです。
これこそが、櫻坂が目指す「新しいグループとしての形」なのでしょう。
新センター、森田ひかるさんの実力は?
ちなみに森田ひかるさんは、この曲で新しいセンターに抜擢されました。
小柄で華奢、とても可愛らしい印象ながら、高度なダンス・パフォーマンスとパワフルな歌唱で人気です。
上記の歌詞のうち最後のフレーズの部分は、歌詞の盛り上がりとステージの大胆な振付がシンクロします。
森田さんの魅力を最大限に発揮する個所になっているのです。
欅坂46が築いてきたイメージと森田さんならではの存在感が重なった、最大の見せ場に注目してください。
そして、曲は最終章へ
No! No! No! 誰のせいでもねえ
天に唾を吐くな
Ah-Uh
No! No! No! 他人(ひと)のせいにするな
鏡に映ったおまえは誰だ?
勝手に絶望してるのは
信念がないからだってもう気づけ!
No! No! No! 誰かのせいにしても
一つが残る椅子取りゲーム
それならいっそ 孤独を選びな!
No! No! No! Nobody’s fault
出典: Nobody's fault/歌詞:秋元康 作曲:デレク・ターナー
曲がラストに向かうこのフレーズはほとんどの言葉が繰り返しになっています。
また、新しい言葉で語られている部分もここまでの歌詞とほぼ同じ意味になります。
それだけに、この曲が訴えかける、最も重要なメッセージだと思って良いでしょう。